1/17/2015

ひとつのピリオド

1月17日土曜日
 今日は夕方18時頃から、明日は時間は未定ですがやっぱりきっと夕方ごろから、写真展会場のLOCALに行く予定です。明日18日日曜日が最終日ですので、是非お越しください。
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 これから先の心躍る出来事への胸の高鳴りと、ため息とを繰り返す。前者が輝いている時間帯は、なんとすばらしい生活が待っているんだというような気持ち。そして、その数時間後には頭を抱えている。そんな風に気分で簡単にふらふらしてしまう情けなさにため息をつき、また翌日には期待感に胸を膨らませている。もう一歩踏み出せばきっと歯車が合い、それぞれが動き始めると信じる。
 去年の末から森山大道さんの写真やエッセイを読んでいる。それまでなんとなく避けていた感があったけれど、ちょっとしたきっかけから頭の隅にその名前が引っ掛かっていて、本屋でたまたま見掛けたエッセイを買った。そしてぼくはもう今スッカリ森山大道さんの虜になりはじめている。それがぼくの写真に影響を与えるのかどうかわからないが、とにかく思うのは、もっと街を歩かなければということで、ぼくの中でひとつのピリオドを打つ気持ちになっている。この先の道は険しいかもなあなんて思いながら。

1/14/2015

猫のスギ平



1月14日水曜日
 庭に鳥が集まって来る。別にネム(飼っているインコ)に引き寄せられて来ている訳ではなく、木の実や花を食べに来ているようだ。最近はクチナシや千両の実を食べていて、きっともう少し経ったら去年のようにコブシのツボミも食べられてしまうだろう。昨日はスズメとハト、そしてヒヨドリが集まっていた。そんな鳥たちを狙っているのかどうかはわからないが、猫のスギ平が久しぶりに姿を現した。スギ平とは、去年からたまに庭を横切っていくのを見掛ける賢そうな良い顔をした白黒の猫だ。先月12月、雨の降る日にテラスに雨宿りをしに来た日から、ぼくは彼にすこしばかりの親近感を抱き、名前を付けて呼んでいる。その数日前、初対面の人に挨拶をしたら杉江が「スギ平」と聞こえたらしく、「スギ平さんは◯◯なんですか?」と会話に出てきた時は笑ってしまった。と同時に「杉江スギ平」というのはなかなか好い名前だと思い、いつかペットに名付けてやろうという気になっていたのだった。
 昼ごろ、そんな猫のスギ平の鳴き声に気が付き庭に出ると、鳥たちも逃げていき、スギ平もゆっくりどこかへ去って行ってしまった。彼の、他の野良猫のようにササッと走って逃げて行かず、ゆっくり去っていくところが気に入っている。もう一か月近く姿を見ていなかったので見られただけでも嬉しかった。昨日の午後は、テラスへ通じる窓を開け放って部屋の掃除をしながら模様替えをしていたのだが、夕方ごろ、フと視線を感じて窓の方を見ると、部屋の中に入って来そうな程すぐそこにスギ平がいてこちらをジッと見つめていた。10秒くらいジッと目を合わせ、iPhoneで写真を撮ろうとしたらまた歩き去ってしまった。なんとなく彼に対しては「逃げる」ではなく「去る」という言葉を使いたくなる。今日は来るだろうか。朝から庭をチラチラ気にしている自分がいる。

1/12/2015

それぞれの生活の中で試みていくこと




1月11日日曜日

 昨日からLOCALでの写真展が始まった。オープニングパーティも、来てもらいたい友人知人が集まって来てくれて、楽しく和やかな時間を過ごすことができた。どうもありがとうございました。
 今回「展示写真に関連した文章の朗読を行う」と告知していたが、正直に言うとあまり書くことができず、その代わりに、12月の後半から展示開始まで毎日何かを書き、それを朗読することにした。(このブログ上に書いたものとほとんど同じものを朗読した) それが何になるのか、人前で読む価値があるのか、そんなことはわからないが、その時に出来ることをやってゆくしかないという、一種の開き直りのような気分でもある。そして、そんなふうに自信のあることでなくても人前で発表してゆく、ということこそが永井さんから伝えられたことだと思っている。文章の書き方にしても、ぼくはもう本当に永井さんの影響を受けていることは明らかだ。今はそんな真似事のようなことしかできないが、きっと続けてゆけばそこからまた自分のスタイルも生まれると信じてみる。とにかくやり続けてゆくことだと、今は自分に言い聞かせているような感じ。
 以下、ちょうど読み終えた何度も読んでいる永井さんの本のあとがきからすこし抜粋して。


 文章というのは、誰もが持ち得る表現形態のひとつです。自分の気持ちをそのままに表すことでもひとつの作品として成立していくのだということを、この本で示したいとも思います。また、似たような生活の中でもそれぞれの視線や感じ方が違っているということを認識していくこともできますし、日々のなにげない事柄を文章にすることで自分の生活意識を見つめ直していくという作業も生まれていきます。そんな楽しみ方をこの本によって知っていただいて、それぞれの生活の中でも試みて欲しいと思います。ゆっくりとした時間や感覚をそうした作業の中に見つけることができて、それが個人個人の中でどう機能しているのかということを考えていくこともできるからです。
 –永井宏『words』あとがき より

1/10/2015

やっぱり最後は

1月9日金曜日
 夕方、最後の額装をしているとマットが足りないことに気が付き、街の画材屋へ急いだ。今回は余裕をもっているつもりでいたのに、いつの間にか鼻息を荒くして手を動かしている始末。車に荷物を積み込みたまプラーザへ向かって走り始めると、何か青春の風も感じるような、心躍る行事が始まる前のような気分だった。夜から出掛けるというのも、そんな気分を盛り上げてくれる。友人の音楽を流しながら気持ちよく夜の246を走っていると、覆面パトカーに路地へと誘導された。おにぎりを携帯電話と勘違いでもしたのだろうと思い、窓越しに声をかけて来た男によく見えるように、その右手を胸の辺りまで気持ち堂々と持ち上げて挨拶した。男はおにぎりには目もくれず、スピード違反であることを告げ、パトカーへと案内した。わかりやすく機械的な説明をした真面目な彼のつくる書類は、女の子のようなかわいらしい文字で書かれていた。この先は下り坂で、もっとスピードが出て危険が高まってしまうのでお止めしました、と言われたが、それなら注意だけでいいじゃないかと思う。気分を取り戻して再び走り出すと、食べかけのおにぎりはまだ温かかった。

1/09/2015

夜中の新聞配達

1月8日木曜日
 散髪をしに街へ出た。明日搬入の展示の準備がまだ終わっていないのに、どうもこういう時に別のことをしたくなってしまうのは、ひとつの癖のようなものかもしれない。学生の頃は、よく試験前に部屋の模様替えをした。今も実は部屋の模様替えをしたいのだが、今回は展示が始まったら、と決めて我慢している。
 額装や細かい作業を進めているとあっという間に夜中だ。2時を回ったのでそろそろ新聞配達のバイクが隣の家に来る頃だ。子どもの頃からなんとなく「新聞配達は朝4時」というイメージを持っていた。こちらはまだ夜中のつもりで作業を続けているのだから、朝を連れてくるにはまだ早過ぎる。こんなことを書いている今2時23分、ぼくを黙らせるかのようにバイクがやって来た。

1/08/2015

いよいよ始まりそうな



1月7日水曜日
 Localに出掛け、最後の打ち合わせをする。行きに二回電車に乗り過ごし、帰りには乗り換えの駅で違うホームにいて乗り遅れた。これこそ正月ボケというものだろうか。
 今回は色んな部分で丁寧な展示にしたいと思っていて、矢田さんとの打ち合わせの度にそれが具体的なイメージになって来た。今回はじめてつくったカッティングステッカーもそのひとつで、展示に先駆けて通りに面した窓に貼付けた。とても満足のいく出来で、小さなことでもこうして毎回なにかしら新しいことをしてゆきたい、と改めて思う。かつて永井さんに言われた「個展は訓練だから」という言葉は、今も変わらずぼくの背中を押してくれている。そしてまた一冊、永井さんの本を読み直しはじめた。

それはきっと正月のせい



1月6日火曜日
 展示前の最後の暗室作業。もう週末にはオープニングがあるというのになんとなく余裕を感じていて、今までの展示がどれだけぎりぎりだったかを思い返す。
 正月のおせちの残りで持って帰って来たおかずがやっと無くなってきて、何度も食べていた大好きな雑煮も自然と食べなくなるのでおもしろい。こうしてまた冬の日々が動き出して、いくつかの出来事を正月ボケだとか、正月のせいにしてすこしずつ「本来の自分」と呼びたい自分の姿を目指してみたりする。

頭痛初め

1月5日月曜日
 展示に必要な備品などを買いに街へ出た。すこしくらい正月のバーゲンを冷やかして回ろうという気分でいたが、だんだんと頭痛がひどくなり、終いには車の中で寝込んだ。一緒に行っていた妻の世話になってなんとか帰宅し、布団で唸りながら寝た。そういえば何年か前、地元名古屋にいた頃、初日の出を見に静岡の海辺まで車を走らせたことがあった。予定も特に無いし、ということでそのまま葉山まで走って行ったときもひとり頭痛に唸り、海岸沿いの見晴らしのいいパーキングで何時間も寝て過ごした元日を思い出す。ひとつ可笑しかったのが、駐車代の高さにぼくだけでなく係のおじさんも驚いていたことだ。そこは見晴らしがいいだけに、それを楽しむためにすこしだけ深呼吸をしたいお客向けのようだった。

仕事初め



1月4日日曜日
 予定より一日遅れて仕事初め。展示に向けた暗室作業がはかどる。定着まで済んだプリントがある程度溜まったら風呂場に運んで水洗作業に移る、という流れを何度か繰り返す。日が暮れてあともう一回暗室に入ろうと決めたとき、風呂場の鏡に映った、いかにも休日という感じの髪型が気になり、ニット帽を被って暗室へ入った。それだけでなんとなく気が引き締まった気分で、そのまま寝る前まで被り続けていた。

二度目の初詣

1月3日土曜日
 昨日に続き初詣へ、近所の神社まで歩いていった。もう初ではないけれど。よく晴れているだけで気持ちがよかった上に、歩き出してすぐ、今日が土曜日だということに気が付いた途端、より一層足取りが軽くなった。参道に並んだ屋台のひとつでたこ焼きを買う。なんとなく年末あたりから外へ出掛ける度にたこ焼きが気になっていたのだ。そのたこ焼きはぼくのその欲を満たすものではなかったが、公園のベンチに座って食べたほんの数分間の休憩は、正月の独特な雰囲気の中にいる地域住民の様子を眺められ、そして自分もその中にいることで、違うものを味わうことができたということにしている。