12/27/2012

安物のジャージ

 初めて入る近所のスポーツ用品店で、きっと一番値段の安いジャージのパンツを買った。紺色の無地で、ブランド名もよくわからない物だ。好きでもないブランドのロゴがデカデカとプリントされた物を買うよりは、まだブランド名すらわからない、よくわからない物が見つかってよかった。本当にブランド名も何もプリントされておらず、内側のタグを見ると『カロライン(株)』という情報だけわかった。名前も気の抜けた感じで良い。さっそく夕方に近所の大きな公園までジョギングをした。こんなジョギングなんていつぶりだろうというくらい。今年の前半は植木屋の仕事で十分過ぎるほど毎日体を動かしていたし、今までも普段の生活の中で結構歩き回るほうだし、わざわざ時間をつくって運動することなんて無かった。ついにそれが必要と思えるほど運動不足を感じるようになったのだ。ロサンゼルスにいた9月、おばさんの家で体脂肪やら色んなものを測れる体重計に乗ったときに、みんなに驚かれるほどスポーツマン並の数値を記録したというのはもう思い出話なのだ。
 夕方四時半ごろ、気が付くともう日は沈んでいて、残されたオレンジ色に淡い水色と深い青色が重なって来ていた。ネムを鳥かごに戻し、ジャージのタグをハサミで切り、ウインドブレーカーを羽織って外に出た。携帯だけは持って行くことにしてポケットに入れて走り始めたが、ポケットの中で意外と動くのが気になったので手で握って走ることにした。一応時間も計ってみようと思って携帯のストップウォッチを起動させた。大きな公園があるのでそこまで行こうと思った。正確には、大きな公園のすこし手前に大きな池があって、前に自転車でそこを通ったときに水面に映る夕焼け空の色がきれいだったことが印象に残っているので、せめてそこまでは走りたいと思ったのだ。案の定その池に到着した時点でもうだいぶ暗くなっていたし、体力的にももう先に進む気にはならなかったので、結局公園までは行かなかった。それでもやっぱり池の水面の色はきれいで、そこに泳いでいるというか浮かんでいるたくさんのカモも気持ち良さそうだなと勝手に思ってしまう、静かな夕暮れ時の風景があった。もうすこし明るかったら違う道を通って帰ったかもしれないが、今日は同じ道を走って帰った。家に着いて庭で息を整えようとイスに座ると、額に汗が流れてきて背中でも汗がじわっと出て来ているのを感じた。これも久しぶりの体験だなあとなんとなく懐かしい気分になり、思い出していたのは植木屋で働いていたときのことと、高校生のサッカー部の頃のことだった。今日流した汗は、そのふたつの時のものとは比べ物にならないくらいちょっとだけの汗だが、汗の量以上に何か感じさせてくれたものがあった、といったらちょっと大袈裟だけど、なんとなく自分の中で何か新しいものが動き始めたような気分。そういうことは割とたまに感じることがあるが、気付いたら忘れてしまっていることがほとんど。今回のこのジョギングは続けていきたいし、続けていける気がする。店のジャージ特売コーナーに一本だけ残っていた無地の物がジャストサイズだというのも、そんなふうに前向きな気分にしてくれる出来事だった。

12/25/2012

クリスマスイブの朗読


言葉によって、言葉にできない、新しい宇宙を生み出す——
宮沢賢治の不朽の名作『銀河鉄道の夜』を小説家・古川日出男が朗読劇にしました
誕生から1年、同じ日、同じ場所から、始発列車がふたたび発車します
古川日出男が独自の視点で脚本に仕上げた朗読劇『銀河鉄道の夜』は、みずからの渾身の朗読とともに、音楽家・小島ケイタニーラブの音楽と歌、詩人・エッセイスト管啓次郎の書き下ろしの詩、翻訳家・柴田元幸のバイリンガル朗読が加わり演じられる、まったく新しい「賢治」の世界です。

 昨晩行ったイベントのチラシより。
 そんな朗読会、いや朗読劇と言うほうがやっぱり正しい、に行ってきた。去年の昨日も同じ場所にいた。今回は、去年は出演されていなかった柴田元幸さんも加わってより一層おもしろかった。実を言うと、去年はウトウト眠ってしまったりして、それまで観たことのなかったまさに"渾身"の古川日出男さんの朗読が印象的な体験だったというくらいで、内容なども大して心に残っていなかった。友人が今年もその情報を持ちかけてくれたので一緒に行った、というのが正直なところで、柴田元幸さんのことも知らなかった。けどアメリカ旅行に持って行っていた雑誌Coyoteのオレゴン特集の一冊の中で、柴田さんが書かれた記事がそういえばあったな、ということを名前の響きから思い出し、アメリカにまで連れて行った一冊の雑誌の中で存在を知っていたということにすこしだけ、何かのご縁かななんて気にもなっていた。銀河鉄道の夜が始まる前に、柴田さんによる、ポール・オースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の朗読を聴いた。聴いているうちにそれはいつか観たことのある『SMOKE』という映画と同じ話だということに気付く。心の片隅に静かに残っている映画で、その原作を翻訳したのが柴田さんだったという訳だ。朗読を聴きながら映像が断片的に頭の中に浮かんでくる興味深い時間で、コンタクトがやけに乾燥する目をたまにいじりながらも、物語に引き込まれる貴重な体験をした。その朗読を聴き終わる頃には、正確には朗読が始まってすこし経った頃には、僕は柴田さんのファンになり始めていた気がする。といっても翻訳された本を読んだこともないし、ただ勝手に感じていた僅かなご縁と、本人の声や容姿、雰囲気、そこから伝わる人柄に惹かれたということ。本を今すぐ探してきて読み始めようとまで思っていないが、その機会が訪れるのを楽しみに待てる。待つなんて受け身な言い方は変かもしれないが、そんな気分。終演後に話しかけることも簡単にできる場だったが、まあいいかなと思って一言も言葉を交わさずに帰ってきた。そして、促してくれた友人には「だから言ったのに」なんて言われてしまいそうだが、やっぱりそれをすこし後悔している。すこしでも話していたらきっとより一層人柄に惹かれただろうし、今日からその一冊目を読み始めていたかもしれない。続きはきっとそのうちどこかでできると思うのだけど。
 載せた写真はまたしても関係なく、手元に三冊目が置かれたWim Wendersの『Once』という本。二冊同じものを持っている話は前に書いたが、その日本版のものを昨日見つけたのだ。これは手元に置いておきたいと思ったので買ったが、英語版の方が遥かに自分の好きなつくりで、装丁もそうだが、家に帰ってきてから目を通して残念だったのは、日本版に載っている写真の印刷の質が低いこと。白黒写真が特に。それはその本自体の質もグンと落としてしまっていて残念。

12/24/2012

LITTLE THINGS


 最近は電車に乗って移動することが多い。東京へ出たり昨日は鎌倉へ。逗子の友人宅に泊まったので今日は逗子葉山をぶらぶらし、さっき帰宅した。電車内で吊り革につかまって立っていると無意識のうちに意外と強く握っていて指先に血が回っていない、なんていうことがよくあった。今日帰ってくるときもそれに気が付き、隣の中年男性を真似て手首ごと吊り革に通し、握らずに済むような使い方をはじめて試してみた。サラリーマンがよくやっているのを見ていたが、なんとなく今までは避けていたスタイルだ。手でグッと握る必要が無いのに大して手首にも負担が無く、これは楽で安定感があるなあとすぐに解決策を見つけた気分だった。けどその直後、窓ガラスに映った自分が見えたとき、どうしてもその手が「ニャン」とネコの手を真似るあの仕草に見え、恥ずかしくなってすぐに手首を抜いてギュッと吊り革を握りしめた。そうすると、今まで道りの握り方をしていても、前を見るとネコの手の自分が見えてゾクッとした。すこし考えたらすぐにその理由も分かり、要は手を握っているからそう見えていたということで、たしかに隣の男性は吊り革に通したその手を握りしめず、そしてパッと開く訳でもなく力の抜けた状態でぶら下げているようだった。さっそくまた手首を通し直し、そんなふうに力を抜いて引っ掛けているとこれが本当の解決策なのかもしれないな、と感じた。いいことを発見したみたいでちょっとだけ楽しくなり、それを試していたい気分だったけどすぐに自分の駅に到着してしまった。帰り道、自分の駅に着いた時に「着いてしまった」なんて気持ちになったのはもしかしたら初めてのことかもしれない。もちろんそれは本当にちょっとだけの気持ちではあるけれど、ひとついいことを発見したということに変わりはないだろう。まあ今後もうすこし試してみないとそれが結論かどうかはわからないけど。すくなくとも今日の発見、として。
 今年から暮らしているこの地域は、今のところまだ好きとは言えない相模原の住宅地なのだけど、駅から乗ったバスを降りて家まで歩いている途中、ベランダに大量の干し柿を吊るしている家を見掛けてすこし温まった。その前に犬の散歩をしている男性と薄暗い道ですれ違ったとき、犬に微笑んだ僕のことに気付いてかどうかわからないけど、そのお兄さんもニコニコしているように見えた。明日も午前中から予定があって東京へ出る。もちろん、できれば吊り革なんて使わずにシートに座りたい。
 この写真は関係ないけど、きのう仕込んだ白菜の漬け物。せめてもの季節の仕事として、白菜漬けだけでも毎年やり続けていきたい。そのモチベーションの半分近くは、実家にあったこの渋い重石を使っていたいという思い。

12/21/2012

一年分のベタ焼き


 ベタ焼きをどこで作ろうかという話はあっさりと解決した。去年の秋、神奈川へ引っ越すことに決めたとき、暗室を作らないとなあという話にもちろんなった。そのときにザッツの口から出たのは「うち暗室あるよ」という言葉だった。今僕は彼女の実家でその両親とも一緒に暮らしているのだけど、お父さんの若き頃からの趣味である天体写真のために、納戸が暗室になっているのだ。正確には、なっていた、今は物置になっている。暗室があるといっても、ガッツリ使おうと思うと水場を占領してしまったりいろいろと考えなければいけないことがあるから、結局この家ではプリントすることはないだろうと思っていた。けれど昨日はその物置化した暗室内の荷物を一旦出して、簡易的にだけど一日だけ暗室として使えるようにした。とりあえずベタ焼きだけでもできたらいいな、ということで準備に取りかかってみたら意外とササッとできてしまって、昨日は久しぶりに一日暗室にこもっての作業。アメリカ以前の、去年の末からのフィルムも現像しただけでずっと放置していたから、この一年の自分の見たものを思い出しながらの作業となった。懐かしい光景を見ながら新たに思いつくアイデアがあり、今後どう発表していくかを考えながらの充実しただった。そして実際に、ひとつ次の発表の場を自分の中では決めた。その会場の相手とまだ確認はとっていないが、近々決まると思う。物事が決まり始めると気が早くなってしまって、もうオープニングパーティーのことを考えていたりする。
 という訳でなんとかベタ焼きは出来上がり、今日はそのひとコマひとコマをチェックする作業。昨日暗室内でちょっとだけ見ながら想像を膨らましていた写真たちを、それぞれルーペでじっくり見ながらチェックを入れていく。これは...!と静かに興奮してしまうような写真もあれば、つまらないものもあったり。強く感じるのは、似たような写真が多いということ。街の中で、歩いている人や座っているひとが風景の中にポツンと居る。一気にたくさんの自分の撮ってきたものを見ながら、そんなシーンが好きなんだということを再確認。そう気付かざるを得ないほどそんな写真ばかり。それが自分のスタイルだという自覚を持ってそこからできる何かを追求し続けることかな、と思う。
 今晩はなんと頂いたチケットで、六本木のサントリーホールへクラシックのコンサートを聴きに行く。すこしきれいな格好をしなきゃな、と思ってもフォーマルな服は持っていないので、パーカーをネルシャツに替えるくらい。一日机の上で写真を見続けたので肩が凝った。リフレッシュするためには、なんて言っては贅沢すぎる本物のコンサート。"コンサート"というのはなかなか使い慣れていない言葉で、なんとなく気が引き締まる感じ。

12/19/2012

次なるアメリカへの思い

 職場の仲間との忘年会で遅くなる相方の帰りを待つ夜。夕飯を食べてお茶を淹れて部屋でゆっくりする。夕方からすこし頭が痛いこともあって特に何か作業を進める気にはならず、なんとなく映画「INTO THE WILD」のDVDを流すことにした。もう何度も観ている映画で、これからも何度も観る映画。僕は別に大してアウトドアな旅をしてきた訳ではないけれど、アメリカ帰りに観ると、なんと言えばいいのか、いろんなことを思う。簡単に言えば、また行きたいという一言。まだまだ見るべきものがたくさんあるし行くべきところがたくさんある。西海岸とニューメキシコへのロードトリップしかしていないのだからあたりまえか。きっとまた行くべき時に行けると思う。その時はまた一人旅なのか、相方と一緒に行くのか。どちらにしても、こんなところに行きたい、こういうアメリカを見たいという思いはもうすでに頭の中に生まれ始めている。これからの自分の生活をつくっていくスタートを切ったのと同時に、またアメリカへ思いを馳せる日々もスタートした感じ。連絡が入ったので駅まで迎えに行く。DVDは一時停止。

12/18/2012

DEVELOPED!

 初めてフィルム現像をお店に出してしまった。三か月間毎日ぶらぶらしていたような旅行だったので数もそれなりにたくさん撮っていたから、その分の現像にかかる時間をお金で買った感じ。「出してしまった」と書くのは、やっぱり全行程を自分でできることに、喜びとすこしの誇りを持っていたから。神奈川へ引っ越して来てからまだ暗室を持っていないので、プリントはもうすこし我慢。だからベタ焼きも作れない。スキャナで取り込んで作ろうと思ったけど、得意ではないコンピューターのあれこれを試した末に結局断念した。前に、友人が働いているスタジオの暗室を使いたかったら言ってね、と言ってくれたのを思い出したので、連絡をとってみるつもり。ベタ焼きだけでもそこでやらせてもらえたら十分。ベタ焼きをルーペで見ながら写真をチェックしていくのは豊かな時間だなあと思う。アナログでそういう作業を続けていくことに決めてやっていたはずなのに、危うくデジタルで作ってしまうところだった。なんて言いながら、ただ上手くできなかっただけの自分。けど確かに、パソコン上で作ってプリントアウトして、インクジェットの紙にルーペを当てている自分はあんまり想像したくない。上手いこと軌道修正ができちゃったな、という気分で、さっきまで画面の前で眉間にシワを寄せていたのも懐かしく思うくらい。ついに始めていけるな、とすこし気持ちもシャキッとするような。フィルムの中に写っているアメリカは、もうずいぶん前の旅の思い出みたいだ。とりあえずひとコマだけスキャンした写真を載せる。ロサンゼルス、サンペドロの小さなビーチ。たしか日曜日だったこの日は、近くの芝生の広場はバーベキューをしているメキシカンたちで賑わっていたが、浜辺の方は寂しげだった。


San Pedro, LA, CA




頑張ろう

 「頑張る」という言葉を嫌う人がたまにいる。僕の友人でも何人かそういう人がいたはずだ。中には、「顔晴る」と表記する人もいる。
 ここのところ、あまり色んなことにこだわらないようにしている。している、というより、こだわらなくなってきていると思う。それでもこだわらずにはいられないこともやっぱりたくさんあるから、それ以外のことはその時の気分任せになっている感じ。だから人とやり取りをするときや何かを選択をするときには、自然なことかどうか、とか気持ちがいいか、ということが優先される。気分任せだから。そしてできるだけその考えに素直に従って余計なことを気にせずに行動していけたらいいが、余計なことを気にしていることに後で気付き、もっと気楽にいきたいのにな、と思うこともよくあることだ。これからはもうすこし楽にいけそうな気がする、というのは先日書いたことにつながるような話。
 先週名古屋に帰っていたときに、あるイベント会場で思いがけず会えた音楽をやっているひとりの友人との話の締めくくりが、「頑張ろう!」という言葉だった。心が通じていると思える人と目を合わせて言い合えるその言葉は直接心に届くようで、そのまんまだが、頑張るぞという気分がより高まった。そこには「(自分が)頑張っていこう」という気持ちと「頑張ってほしい」という気持ちが本当にシンプルに存在していたと信じられるし、なによりも僕はそんな友人がどこかで頑張っていることを思うと自分も力が湧いてくる。だから、好きな人には頑張れと言いたいし、頑張れと言われたら励みになるし、頑張ろうと言い合ってお互いの道へと歩き出して行けたら気持ちがいい。その友人に伝えることがあったので手紙を書いていたら、先日のその言葉を思い出したのだ。震災後に「頑張ろう日本」のステッカーを友人にもらったが、それはずっと使えずにいる。僕には広い"エリア"に向けて、気持ちを込めてその言葉を使うことは難しいと思ったから。

12/15/2012

佐藤玲子×岡野智史展



すこし遅れてしまいましたが、相方の佐藤玲子(ザッツ)が石彫作品を展示しています。東京日本橋の高島屋内にある美術画廊Xというところです。年明けまでやっているので、もしチャンスがあれば、というか、ぜひその機会をつくって観に行ってもらえたらと思います。彫刻作品は写真や絵以上にその場で観ないと伝わらないので。ゆっくり眺めているときっと何か感じるものがあると思います。僕はそうでした。一緒に展示をしている岡野さんの絵もいいんです。年の瀬で世の中はバタバタしがちですが、ぜひ時間を見つけて観に行ってみてください。


「世界と孤独」Vol.4 佐藤玲子×岡野智史展
2012.12.12(水)〜2013.1.7(月)  am10〜pm8
東京日本橋高島屋6階美術画廊X
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/event/index.html#os1325

彼らの生活、自分の生活


 帰国してからこの一週間の間に名古屋へも帰ったし関東でも、何人もの友人たちに会い、そしてそこではやっぱり、"アメリカ旅行を終えて"というような話題になった。人と話をしながら、だんだん自分でも今の気持ちを確認できて来た気がしていて、会話は文章を書く作業にも似ていると思った。もちろん話しながら常に反応があるので、書くこと以上におもしろくて内容も濃く深くなっていった。そんなふうに友人たちと話をしながら、「楽になった」という言い方を頻繁にしていたことに気付いた。三か月のアメリカ旅行を終えてぼくは楽になったのだ。たしかに一言で感想を言うならこれが一番しっくりとくる。別に何かに不自由を感じていた訳ではないはずなのにこういう気分になっているのは、いろんなスタイルを見て来られた、ということに尽きると思う。自分が憧れていた地で、ということも大きいだろう。それぞれ自分が信じる好きなやり方でやっていけばいい、というありきたりな、今までも感じて来ていたそんなことを改めてより強く、何かよく分からない自信と共に感じている。霧がかかっている知らない道もぶらぶら歩いて行けるような、看板が無くてもその先のものを見るために進みつづけて行けるような。今はそんな気分。まあ、とにかくアメリカに行ってよかった。とそんな簡単な言葉で締めくくるが、それは同時に、なんだかんだ言うよりもこれから自分が作るものを見てもらうしかないなと思うから。
 友人たちとの会話の最後に「生活をつくっていく」という言い方もよく使った気がする。やっていきたいことは見えて来たから、それをやりつづけて行くための生活づくり。この週末のうちに部屋の模様替えをしようと思う。別にそれはただやりたいだけだけど。

12/07/2012

I'M HOME


 すっかり落ち着いて家でゆっくり過ごす帰国翌日。まだ仕事も無いし明日からは三日間名古屋へ帰省するし、もうすこし休暇がつづく感じ。今日はこれから荷物を簡単に片付けてまた出掛ける支度をしたら東京へ。アメリカからは、あっさりと帰って来ちゃったな、という感じがしている。帰りの飛行機の時間も、長かったのかあっという間だったのか。あっという間ということは無いけれど、でも"あっさりと帰って来ちゃったな"というのが今の気分。昨晩駅まで迎えに来てくれたザッツとの再会はなんか変な感じだった。家に帰って夜ご飯を食べ、お茶を飲みながらゆっくりしているうちにだんだんと二人の間合いが戻って来た。そしてそのふたりの肩や頭、腕を行ったり来たりする小鳥のネム。ネムとは鳥屋さんで出会った三か月前、旅立つ直前の日以来の二度目の顔合わせ。彼女の肩に乗ったりしている写真を旅行の間見せてもらっていて、うれしいのと同時になんとなく悔しかったのだけど、すんなりと僕の方にも来てくれて安心した。そんなふうに二人の間に小鳥がいるという状況が我ながら微笑ましく、温かい夜の時間が流れた。今朝からも、とにかくネムが可愛くて仕方がない。念願の、朝の薄暗いうちにコーヒーを淹れて、小鳥と一緒に朝ご飯なんていうこともさっそく実現し、みんなが仕事へ出掛けてからはさっきまで部屋へ放って自由に遊ばせていた。外の世界がきっとまだ不安なのだろう、すぐに肩や頭に飛んで帰ってくるのがたまらない。けどすでに噛む力は結構強くて、首筋を噛まれると毎回声が出るほど痛いので、なんとかそれだけでもダメだと憶えてもらいたい。そんなふうに生活を共にする新しい仲間が増えて、より一層これからの日々を楽しく想像できる。仲間というか子どもができたような感じ、と言う方が正確かもしれない。子どもができたらこんなふうに話しかけるのかな僕は、なんてすこし思った。今日から自分の次のステップへの準備期間がスタート。次へ動くためのパワーを十分に得られた旅だったと満足。直接、陰ながら、たくさんの強力なサポートのおかげで成り立った旅だった。関わってくれたみんなに感謝しています。ポートランドでの三週間でビールっ腹になり始めているお腹は見せられないな。

12/03/2012

LAZY SUNDAY





 ずっと考え事をしていたような、ただぼんやりしている間に時間が過ぎていってしまったような。近所へコーヒーを買いに行った以外は、ほとんど窓辺の椅子に座ってパソコンを触ったり、考え事をしていた。確かに考え事はたくさんできたと思う、いくつか帰国してからの予定をたててみたり。昼前から雨は降り始め、遠くの方から明るくなってきた午後にカメラを持って外へ出たが雨は止んでおらず、それどころか思っていたよりも降っていて、情けないくらいあっけなく引き返した。そうして午後も家で過ごすことにきめたので、マグカップを持って朝と同じ店へコーヒーだけ買いに出た。マグカップの中に雨が入らないように手でふたをしながら歩くと、その手にすこしの間コーヒーの匂いがしみ込む、その匂いが好きだ。スタンプタウンコーヒーのマグカップを先日買ったのだが、その近所のコーヒーショップもスタンプタウンの豆を使っているので、申し訳ない気がしなくていい。そんな、コーヒーと、そしてネコと窓辺で過ごした一日。窓から通行人を眺めたり、たまに写真を撮ったり、ネコのいたずらに振り回されたり。今はネコはこの机の隣のベッドで丸くなって寝ている。おとなしくしている時は本当にかわいい。なんて、自分勝手に可愛がっている。

 サンフランシスコで会えるかもしれなかったけど、タイミングが合わなかった人が二人いる。写真家の高橋ヨーコさんと、サーファーであり映像作家のユージさん(Ugee, Yuji Watanabe)のお二人(それぞれ名前のところにリンクを貼りました)。ヨーコさんはきっと知っている人も多いだろう。今はサンフランシスコで暮らしていることを知ったので、会いたいと思っていきなり連絡をさせてもらったら、すごく気さくにやり取りをしてもらえて気持ちよかった。ユージさんのことは例のiPhoneアプリInstagramで存在は知っていて、そしてトパンガで会ったみんなから「サンフランシスコに行ったらユージに会うべきだよ!」と言われていた。そんなふうにみんな繋がっていたから電話番号もすぐに教えてもらえて、ユージさんもとても気楽な感じでやり取りをしてくれた。ヨーコさんとユージさんも仲の良い友人同士だそう。そんなお二人。そして、今日驚いたのはユージさんの作った新しいサーフムービーのプレミア上映が、僕が帰国する翌日に原宿であるというのだ。しかもヨーコさんも帰国してその場に行くのだという。こういうことってあるもんだよなあ、と驚きながらもどこか冷静に「いい感じ、いい感じ」と生意気に思っている自分もいて、とにかくその日が楽しみだ。そしてその日の夜中に、夜行バスで愛知へ帰ることも決めた。帰国してすぐにまた動き回ることになってしまうが、後のことを考えるとそうするのがいいと思った。兄から譲ってもらう車を取りにいくのが一番の目的。行きたいところ会いたい人はたくさんいるが、月曜日には神奈川へ帰るのでどれだけのことができるか。あとは日曜日の夜に名古屋の友人のカフェ、イニュニックのイベントへ行くことも決めたので、そこで友人たちと会えることを期待。というかたくさんの知った顔が集まることはすでに決まっているような感じ。名古屋愛知のお友達は是非そこで会って飲みましょう。そして火曜日には水曜日から始まる、ザッツのギャラリーでの展示の搬入お手伝い。その情報はまた追ってここでもすぐに伝えるつもり。
 帰国してからのそんな忙しくも楽しくなりそうな日々のことをぼんやりと、窓の外のグレーな風景以上にメリハリ無く考えていた一日ももう終盤。マリーはマイクよりも一足早く今晩帰ってくるはずだが、夜中遅くになるのだろうか、時間を聞いていなかった。水曜日は早朝の便だから、実際にポートランドで過ごせるは明日あさってのあと二日。ちょっと怠けた一日を過ごしてしまったかな。けどこんなふうに思う存分リラックスして一日を過ごせる場所があることは本当にありがたい。こんな一日もきっといつか思い返したときに微笑ましく思えるのだろうな、と、また何度も言っているようなことを。海の方へは行っていないし、郊外の山の方へも行っていない。楽しいことはまだたくさんあるはずだが、何となく今の僕は今のここでの日々にこれ以上の展開を求めていない。そんな気分になれていることが実はすごくうれしい。明日あさっても朝起きて、したいと思ったことを好きなときにしよう。それが今回の僕のポートランドでの過ごし方で、確かにまったりし過ぎてはいるが、それでいいと思えるのだから。とりあえず、あと二日。雨が降らなければやっぱり歩き回って来たいと思う。もう何度も歩いてる同じ道を歩きたい気分。そして同じ店に入ってコーヒーを。

2012.12.2 Sun. night wrote.

12/01/2012

FRIDAY MORNING AND MIDNIGHT




空は半分が青空で半分は曇り、強めの風で落ち葉が飛び回っていて、その分空気が澄んでいるような窓からの景色。今朝はザッツからの電話で目が覚めた。スカイプのようなネット回線を使って無料で電話ができるというのは本当に便利だ。最初にLAに着いてすこし経ってから、あっけないくらい普通にその電話が繋がったのは変な感じだった。大事なことは手紙に書いて送りたい。

 天気がいいなら早く外へ出掛けて行けばいいのに、どうもここのところこうして昼まで家の中でまったりしてしまう。居心地が良いというのは本当に二人に感謝だ。ついに今日から二人が帰ってくる日曜日の夜までは一人暮らし。今朝は電話を切ってから近くのカフェでコーヒーを買って帰り、昨日買って来ておいたパンと果物を食べた。そういえば久しぶりの朝食だった。最近は昼にブレックファストを食べに行く、というような日が続いていたのだ。今日はマグカップを持って行ってそれに注いでもらった。天気のいい朝に、コーヒーの入ったマグカップをこぼさないように持って歩いて帰っていると、なんか本当にここに住んでいる感じだった。今カールと連絡を取っていて、昼過ぎから一緒に出掛けようという話になった。というか僕から誘った。天気がいいし、一緒に写真を撮りに出掛けるという日があってもいい。先日彼から誘ってくれた日は雨が降って行けなかったので、一度はそんな日を過ごしたいと思っていた。彼が一緒に暮らしている彼女のチェルシーも今晩からこの週末の間は出掛けるようなので、きっとカールとは毎日何かしら遊ぶことになりそうだ。そうでなくともほぼ毎晩会っているのだけど。
 今朝の電話では、日本は真夜中なのにザッツの声はしゃきっとしていた。僕らは寝坊しがちだし昼寝も好きだし、そういうところから小鳥はネムと名付けられたのだけど、一週間後にはまた一緒に暮らしているんだと思うと、変な感じがした。もちろんそれを強く望んでいるのだけど、自分が今までに経験の無い三か月という長い旅行からどんなふうに日常に溶け込んで行くのだろう。その過程で、何か今までと違うものが生まれるだろうなと、なんとなくそんなことを思う。それが、この旅行で自分が手に入れた何かなんだと期待する。
 僕は「(コーヒーを買いに)いってきます、おやすみ。」彼女は「おやすみ、いってらっしゃい。」と言って電話を切る金曜日の始まりと終わり。ネコは元気にしていて、今朝は僕のクロワッサンをつまみ食いしようと試みた。

2012.11.30 Fri. noon wrote.