7/19/2015

LOGGER







I've been shooting photos for LOGGER these few months. More to come.


7/03/2015

家族へと向かう旅



・7月3日金曜日
 先月の頭に、母の還暦を兄弟で祝うために帰省した。
 その朝僕は、妻を駅まで送り、そのまま海老名インターから東名高速に乗って西へ向かった。名古屋の隣にある春日井市が僕の故郷だ。車ですこし遠出するときは、その時の気分で何枚かのCDを旅のお供に持っていく。その選択が運転中の気分にぴったりくると、そのドライブは一気に気持ちがよくなる。そしてその朝はまさにそんな風に始まった。名古屋の友人のバンド、ツクモクの音楽を聴きながら、「到着したら彼の喫茶店へ行って鉄ナポを食べよう」と思っていた。高速へ乗ってからはスーパーカーの一番好きなアルバム『Futurama』を大音量でセットした。地元で写真学校へ通っていた時代に一番よく聴いていたバンドだ。そう、家を出る前から、今回の旅は自分の過去への、故郷への、そして家族へと向かう旅だという気分でいたのだ。
 快晴の初夏のドライブ、いや季節は問わずだけれど、僕は一人で運転するときは大体窓を全開にする。去年まで乗っていた車は兄から譲り受けたもので、ダッシュボードの上に大きな茶色い鳥の羽根があった。それ以降、今の車に乗り換えてからも同じようにダッシュボードの片隅に置いていて、すこし気に入っていた。なんとなくそこに兄の意思を継いでいるような気持ちも、ささやかに持っていたかもしれない。家族に会いに行く帰省でもあったし、風にそわそわ揺れている羽根を横目に見ながら、兄弟のことをすこし考えていた。去年から山で古民家を借りて暮らし始めた兄 タカの家にも、翌日行くことができたらいいなと思った。そしてそれまで何の鳥の羽根なのか考えたことがなかったけれど、もしかしたら鷹かもしれないと勝手に納得した。
 ゴオゴオと音を立て続ける風をうるさいとは思わなかった。そして音楽に乗って車のスピードを上げたとき、その風を捉えたダッシュボードの上の羽根はふわりと宙に浮き、助手席側の窓から一瞬で外へ飛び立って行った。その瞬間はショックで思わず「あっ!」と声が出たが、次の瞬間にはなんとなく清々しさを感じている自分がいた。変な言い方かもしれないけれど、気に入っていたその羽根が消えてしまったことへのショックはその時もう感じなかった。別の新鮮な何かが吹き込んできたような気がしていた。
 
(つづく)

6/24/2015

smile






・6月23日火曜日
「物事に対する感傷的な時間は誰の中にでもゆっくりと流れているような気がする。しかし、それは過ぎてみれば既知な事柄として、あっけなく慣習や安易な物語の中に消えてしまう。ただ、ひとはそれぞれが語り尽くせないほどのイメージや希望をたとえ微細であっても常に持ち続けて生きている。そしてそれが個人個人の生きてきた証しとして存在していく。
現在、こんな話を読んでみたところで時代遅れの感傷的な物語という印象を持つひとも多いことと思う。しかし、忘れたくないのは、いつの時代も〈永遠〉を求めているかのような作業が繰り返され、形にしようとする努力がなされてきたということだ。そしてそれは誰しもが一度は抱いたに違いない、脳裏の片隅に残り続けるひとつのイメージの塊であり、これから先も生きていくために必要な残像でもあるような気がする。」



永井宏『smile』まえがきより抜粋/写真は今年3月に永井さんの奥様、恵子さんを訪ねてご自宅へおじゃました時に撮影したもの

 夏が来て、フと永井さんの『smile』を読み返したくなった。夏は僕にとって特別な季節だと、10代の終わり、あの頃の夏を過ごしてから思い続けている。人からしてみれば必要以上にセンチメンタルな思いばかりを抱き、その記憶や憧れをなんとか今に、そしてこの先に結びつけようとしている。きっと、それはもう僕だけの話ではなく。そうやってそれぞれが自分にとって特別な記憶や憧れと共に生きていて、それが「これから先も生きていくために必要な残像」というものなのだろう。
 僕は「いつか見たことのある光景」を感じる瞬間や、匂いが「いつかのどこかにいた時の記憶」を蘇らせるような瞬間が大好きだ。

4/20/2015

楽しいの周り



・4月20日月曜日 #2
 土曜日に久しぶりに海に入った。神奈川に来てからは名古屋にいた頃よりも海はすこし近くなったけれど、なんとなく「湘南の海」というイメージに苦手意識を抱いていた自分がいて、サーフィンをしに海へ向かう気にはなれなかった。もっとも、地元にいた頃も頻繁に海へ行っていた訳ではないし、腕前も未だ初心者レベルだということは言っておかなければならない。
 妻の学生時代のスケボー仲間が近年は専らサーフィンにはまっているというのを前から聞いていて、いつか一緒に行こうと誘ってくれていた。久しぶりに会ったりメールでやり取りをする機会があれば自然とそんな話になるものだから、ただの挨拶のようなものとしか初めは捉えていなかった。そのうちの一人は趣味でサーフボードを自作し始め、自宅とは別に海の近くにアパートを借りて、サーフィンを楽しむ生活を作りあげていた。
 車で彼らの待つアパートへ行くと畳の部屋でくつろぐ彼らがいた。壁にはサーフボード用のラックが造り付けられていて、さながらリラックスした(し過ぎた)サーフショップのような雰囲気すらあった。すだれを通してやわらかく日が差し、その光景には早くも夏を感じた。そして、彼らとは仲良くなれそうだと思った。もう一人の友人の到着を待ってみんなで板を抱え、海へ歩いて行った。
 海から上がった後、アパートに戻って順番でシャワーを浴びたり昼ご飯を食べ、コンビニで買ってきた缶ビールで乾杯した。僕は妻とのジャンケンに勝ったのだ。そんな、すべてから解放されたようなリラックスした、そして適度に疲労感も得た休日を過ごしていると懐かしい日々が思い出されてきた。あの頃は仕事も遊びも好きな場所に身を置いていて、今思い返すと「楽しかった」というそのシンプルな一言が一番ぴったりくる。そして、なんとなく最近またそんな生活が始まったような気がしている。けれど、今のその「楽しい」にはあの頃よりもきっともうすこし異なるニュアンスやディティールが含まれているのではないか。そんな「楽しい」の周りにある色々を大事にできればと思う。そうしてゆくうちに「楽しい」の枠が拡がってゆき、そんな気分にもっと包まれながら日々を過ごしていけるのではないか、なんて希望を抱いてみたい。

A WINDOW STORY


・4月20日月曜日
 きっと厚木基地の騒音対策なのだろう、うちの窓はどれも防音サッシだ。たまに機嫌のいい夜なんかに、隣家を気にせず大きな音で音楽を聴くことができて気に入っている。飛行機の音はたまにうるさい時があるという程度なので、防音サッシの存在に気付いたときはなんとなく得した気分だった。
 けれどなぜかトイレの窓だけは古い木のサッシで、笹の葉のような模様の磨りガラスに穴の空いた青い網戸と、そこだけローテク感が漂う。(家自体も決してハイテクではないが。) 風の強い日にはカタカタ音を立てたりするが、それはそれで気に入っている。なによりも、そんな一角があることで多少なりとも力の抜けた空間が在るという、矛盾を伴う安心感のようなものを感じるのだ。そしてその窓の向こうには裏に住むお婆さんが腰を曲げて作業をする畑が見えることも、そんな温かい印象を感じずにはいられない大きな理由だ。
 なぜトイレの窓だけなのかは謎のままだが、きっと作った人もわかっていたんだなと、勝手な解釈で都合のいい後味を残す。

4/06/2015

nagai hiroshi/ growing green 1996



・4月6日月曜日
 永井宏展開催中の等々力巣巣で、象の音楽の朗読と山田稔明さんのライブを観た。どちらも何度も観ているけれど、昨日は昨日の心地いい感動があって、先輩たち(勝手に)の姿に自分のこれから先の道を照らしてくれるような明かりを見た。何度も観ているけれど、なんて書いたが、それは間違った考えが出てしまった言い方だと訂正しなくてはと思う。昨晩の帰り道「やっぱりライブはちょくちょく観に行った方がいいね」という会話をした。いいライブを観るとその都度自分の中に芽生えたり湧き立つものがあり、自然と自分の立ち位置や方向性を確認する作業が生まれている。昨日もそんな夜だった。日頃SNSなどのインターネット上で活動の様子を眺めていると、すこしだけその人の表現自体を理解している気になっていることがあるかもしれない。否定したいけれど、それがさっきの表現に出てしまった気がするのだ。当たり前だけれどライブの魅力はそういうところで、何度観たことがあっても、やっぱり昨日は昨日の心地いい感動があって、事実今日は気持ちが明るい。冬の間すこし雲がかかっていた自分の道にもちゃんと清々しい春が訪れたような、そんな気分。気が付けば足元に花の蕾もぽこぽこ出てきている。半袖・裸足で過ごせる今日みたいな陽気が、こんなふうに前向きな気分にさせてくれているのだとも思う。
 先日ご自宅へもお邪魔させていただいた永井さんの奥さま恵子さんは、もうすこしで故郷の北海道へ。その前にまたお会いできてよかった。僕が19歳の頃に初めてお会いしてからちゃんとおしゃべりのできる関係になったのは割と最近のことだが、ぼくは勝手に恵子さんはどんどん表情が明るくなっていると感じていて、これからもそうであってほしいと、今は心から願うばかり。気の利いた言葉を伝えることができなくて、お元気でいてください、と言うのがやっとだった。

展示は15日まで。
永井宏展/ growing green 1996

3/31/2015

Random Notes

植木鉢につまずいて老婆が植え込みに倒れた
目尻のあたりから出ていた血を拭うと、
申し訳なさそうに歩いて行った

カフェの店内、
セレブ気取りのマダム3人が帰った後の
テーブルの品の無さに納得した

真っ直ぐな杉の木が揃って風に揺れていたのがきれいで、
自分も少しだけ同じように揺れてみた
他の登山客の足音が聞こえてきてすぐにやめた

風が強かった
そして
風自体に音はあるのだろうかということを思った
木々を揺らしたり、耳に直接当たって聞こえる音ではなく、
風自体に音はあるのだろうかということを思った
と同時に、
そんなことは誰でもが思いそして多くの人が書いてきた、
つまらない考えのような気もした

一人で山を登る中年女性と挨拶を交わした時、
彼女は「歩きながらなんて行儀悪いわね」
と恥ずかしそうに言ってからおにぎりを頬張った
少しの間ぼくはその後ろをゆっくり歩いた
他の多くの登山客と違って、
靴は普通の運動靴を履いていて
リュックは特にブランド名も分からない
そんな
感じの好い後ろ姿だったのだ

3/17/2015

Zama, KN in color

These days, I sometimes shoot color films.




2/20/2015

夕方の長い散歩

Zama, KN


・2月20日金曜日#2

 座間を「Zama, KN」と表記するとどこかアメリカの田舎町のような印象になって、そんなところも座間を好んでいるひとつのささやかな理由かもしれない。ちなみにKNは神奈川の略。カリフォルニアをCA、ニューメキシコをNMと略すように。
 この町は坂が多かったり他にもいくつかの言葉にしづらい特徴があって、散歩して回るのがおもしろい。今日はなんとなく頭が煮詰まっている感じがあり、夕方にまずいつもの公園まで歩いた。昨晩からずっと頭の中で流れているsugar plantの『rise』という曲があり、きっと今日それを散歩中に聴くといいと思ったのでイヤホンを上着のポケットに入れて出た。我が家自体が割と高台にあるので、近所をすこし抜けると一気に景色が広がる。今日も遠くに見える山並みがきれいで、もうすこし暖かくなったら山歩きに行こうと思っている。その山に雲間から日が差していた。先の日記に書いた『rise』の歌詞の日本語訳にある「光を求めて上昇して 私は私を証明する」というフレーズを思い出す。公園の山道を抜けて見晴らしのいい高台のベンチに腰掛け、ここぞとばかりにiPhoneにイヤホンを繋ぎ、その一曲を流す。リピートにしてその一曲だけを聴き続けた。日本語訳のフレーズをまた思い出していた。
 何回リピートされた頃だろうか、再び歩き出してからは駅の横を通り抜け、更に普段あまり行かない方面まで足を伸ばしてみた。ちょうど夕方5時頃、駅の周りには会社や学校帰りの人が行き交っていた。そしてそれは同時に、夕日が沈んでからの穏やかできれいな時間の始まりでもあった。線路と畑の間の道路を歩き続け、適当なところで曲がって住宅地へと続く坂道を登っていく。初めて歩く道だが、きっといい道だという感じがあった。住宅地を抜けていく、その町の人々の生活が感じられる道、という意味で。暗くなり始めた夕方は余計にそんなふうに住宅地に独特の魅力を漂わせる。生活の気配、匂いとでも言えるだろうか。もっとも、あの時間帯に今日の気分で歩いていれば、どんな道でも気分よく進んでいけたようにも思う。
 住宅地の脇に更に高台へと続いていくような脇道があったので、迷わずそっちを選んだ。金属バットで野球の球が打たれる音が聞こえた。あのカキーンという音は久しく聞く機会がなかったので、なんとなく懐かしさを感じながらその音がする方へ歩いて行った。雑木林の向こうの方から音が響いてくるが、その向こうは遠くの街の明かりが見えるだけだった。更に歩いて行くとその雑木林の向こうが谷になっていることが分かり、その下に野球のグラウンドが見えた。中学生くらいの男子数人が放課後の遊びに興じているらしかった。いかにもその年頃の男子というような彼らの楽しげな雄叫び声が微笑ましかった。そんなふうに高台へ歩き進めた末に、ぼくの目の前にはポコポコと小高い丘が二つ三つ現れ、近くの看板を見てみるとそれは古墳だということがわかった。古そうな石造りの簡素な階段を上ってその丘の頂上へ行くと石碑らしきものがあり、そこはたしかに何かなのだとわかった。ただもうその頃には大分暗くなってきていたし、詳しい説明には目を向けずに、遠くの山々をもう一度ぼんやり眺めた。眺めのいい場所にさえ来られたらよかったのだ。
 イヤホンからもう1時間以上ずっと小さくリピートされ続けている曲の音量を上げて、階段の一番上に腰掛ける。そうしているとあまりにもどこかで感じたことのある感覚が湧き上がり、すぐに思い出したのは愛知県の実家の近所にある墓地内の、長い階段の上に座っているときのことだった。墓地といっても平和公園と呼ばれる広大な面積の集合墓地で、まだぼくがスポーツ少年だったころはその階段でトレーニングをしたり、犬の散歩でもよく通った場所だ。長い階段の一番上では腰を下ろしたくなる癖があるのかもしれない。高校や専門学校に上がってからは、青くセンチメンタルな気分をその階段の上へ持ち込んで、遠くに焼けていく夕日を見たこともあったのではなかったか。
 階段の下を芝犬を連れた女性が通った。そんなことを思い出しているときだったので、どうやってもその映像は母親と実家の柴犬よねの散歩姿と重なり、すっかりティーンエイジャーとして過ごした青臭い日々を思い出す時間になってしまった。ぼくは生まれ育った愛知県春日井市にある小さな住宅地が大好きなのだ。この階段を降りて実家へと続くあの緑道を歩くことができたら......なんて束の間の妄想が頭を過ぎった。
 ただ、それは嬉しいことだった。微笑ましく、同時に多少のセンチメンタルな気分を伴いながら思い出すことのできるあの日々が確実にあったということ。その中で、ぼくはどんな顔をして暮らしていただろう。その時のぼくは26歳という年齢をどうイメージしていただろう。今ぼくが彼に会ったら、どんな話をしてあげられるだろう。胸を張って真っ直ぐ目を合わせられるだろうか。まるで、意識の中に新たな指針が設けられたような気分だ。あの頃の日々に、そしてあの日のぼくに背中を押されたような初春の夕方。イヤホンはもう外して、家へ続く道を探しながら歩いた。

光を求めて上昇する

・2月20日金曜日
have you ever been under the water?
I'm so afraid I couldn't find time
the only thing I see is a memory
I cannot change

have you ever seen the world in the sea?
I'm so afraid I couldn't find me
the only thing I want is an entity
I can touch and feel

I wanna rise to the surface
I wanna rise to be born not to die
I wanna rise just to see you
I've got to rise to prove it
I gotta rise

水面下にいたことある?
それはもうおそろしいところ
時間の存在しないところ
ただあるのはもはや変えることのできない記憶だけ

水面下のぞいたことある?
それはもうおそろしいところ
私が見つからないところ
ただただ触れて感じることのできる私が欲しい

光を求めて上昇する
私は記憶として漂うのではなく
私は私として生まれアナタと出会う
光を求めて上昇して
私は私を証明する

"rise" by sugar plant
-------------------------------------------------------------

 学生時代、自分で好きな音楽を探して聴くようになって少し経った頃、今の価値観を身につけ始めた頃、その頃から変わらずずっと聴き続けている音楽は片手の指で数えられるほど。sugar plantの話題を人と共有したことはほとんどないし、もう活動していないと思っていたけれど、ずっとひとり聴き続けてきた音楽だ。最近の、というよりもつい一昨日のライブ音源を思いがけず聴けて感動した。CDを棚から探して一曲歌詞を見る。その勢いで書き写してみる。日本語訳の最後のフレーズがとてもきれいだと思う。

2/19/2015

COFFEE AND PRINTS


・2月19日木曜日

 昨日は年上の友人が家を訪ねて来てくれて写真をたくさん見てもらった。彼らとこれから始めるあるプロジェクトの為で、うまくいけばお互いにとても気持ちのいい広がりが期待できる。彼らの為にセレクトしてプリントしておいたものを気に入ってもらえて、ぼくとしてはこれ以上無い話が始まりそう。その中から彼らに更にセレクトしてもらった写真をパラパラと見ていると、それらの写真に共通した雰囲気、彼らの好みが見えておもしろい。そしてその趣味がぼくとほとんど似通っていることが嬉しい。気の合う人とお互いにワクワクする何かを始められるという楽しさ、そしてなによりこういう機会を与えてくれる彼らに感謝。

2/16/2015

Switch30周年トークショー

2月16日月曜日
 すこし前のことだが、東京のSwitch PublishingのカフェにてSwitch創刊30周年記念イベントとして開催された、編集長の新井敏記さんと黎明期のアートディレクションを勤めた坂川栄治さんのトークショーを聴きに行った。
 トークの内容とは違うのだが、その日イベント内で流れた音楽も印象に残った。まずお二人のトークが始まってすこしした頃、新井さんが話しながらテーブルの上のCDプレイヤーにBGM用の音楽をセットした。それは映画『Paris, Texas』のサントラで、ぼくの一番好きなCDのひとつだ。以前、朗読のBGMにこのCDを使ったこともあったり、個人的にこのCDには特別な思いがある。そしてイベント中にはスライドショーも上映されたが(数年前にご友人が亡くなられたときに贈られたものという、美しい映像だった)、そのBGMにもやはりそのサントラから一曲音楽が使われていた。その映画を好きならばすぐにどの曲かわかるはずで、そう言うぼくも去年自らの結婚式用に作った生い立ちの映像にその曲を使用したのだった。そんな共通点は単純になんとなく嬉しかったし、より近い気分で彼らの話に聴き入ることができた。
 その夜に聞いた話、そしてそこに見た彼らのスタイルには、今のぼくは大きく心を動かされた。トークショーの最中もその帰り道も、色んなアイデアが頭を過った。書き留めておかなくてはと思い、閉店間際の喫茶店に入ってノートに走り書きをした。家へと歩く帰り道、ひとつのことをぼくは心の中で決めた。自分にできることを思い描きながらひとりで笑い出しそうな夜だった。




2/04/2015

I'M HERE.

2月4日水曜日
 どんどんと日が流れて行く。と思ってしまうのはあまり好きではない感覚。その中で自分ができること、やりたいこと、やっておいた方が良いことをちゃんと把握してひとつずつ片付けていくことを目標にしたい。すぐにはうまくいかなくても、そう心掛けて実験のように自分に合った仕事の仕方、生活の仕方を試みている友人の姿を見て(SNS上で)、改めてそんなことを思っている。今自分にできること、すべきこと。先の夢ばかり見て一人でわくわくしていても......と、今までに何度も思ってきたはずのことを、情けない程に定期的に思い返しているような感じ。

2/03/2015

SHERYL DUNN "EVERYBODY STREET"

SHERYL DUNN. Jan.22th, Tokyo

2月3日火曜日
 1月と書き、ハッとして書き直した。
 ニューヨーク在住のフォトグラファーでありフィルムメイカーSheryl Dunnの、ドキュメンタリー映画の上映と写真展『ANYBODY AVENUE』が先日まで東京でやっていた。竹村卓さんの本で見て以来、格好いいなあと思って頭の隅に残っていたシェリル。その卓さんの企画で開催された展示に行かない理由は無く、シェリル本人にも会いたくてオープニングに行った。本人を目の前にしてもやっぱりその出で立ちや話し方から感じるのは「格好いい」という印象だった。混み合う会場での上映会は画面がところどころ観られなかったけれど、それでも充分に込み上げて来る感情があり、また日を改めて観に来ようと思っていた。
 その夜の上映会が終わって会場の撤収作業が進められる中で、壁に展示されている写真をぶらぶらと眺めて歩き、人が少なくなったところでシェリルに話しかけた。こういう時にZineは本当に便利で、挨拶代わりというか、それを渡すことでまずひとつ大きな門を抜けられるような感じ。カメラは何使ってるの、とかそんなことをすこしだけ話しただけだが、久しぶりに好い緊張感で胸が高鳴った。帰り道もその興奮は冷めず、そして二週間以上経った今も引き続きあの夜のモチベーションは保たれているように思う。彼女が作ったドキュメンタリー映画『EVERYBODY STREET』はニューヨークのストリートフォトグラファーたちをドキュメントした映画だ。先日もう一度ゆっくり観に行ったが、やっぱりとてもポジティブな刺激を受けることができた。同時に最近は森山大道氏の本を読んでいるところなので、相互作用でぼくの写真欲は高まる一方だ。Street Photographyの魅力を改めて感じている。
 あのオープニングの夜の帰り道、久しぶりに手が震えていた。それは単純に緊張して震えていたというダサイ話だし、それが原因だろうか、シェリルを撮影した写真もすこしブレていた。ただ、普段こんな風に誰かに面と向かって写真を撮らせてもらうことは無いので、そういう意味でもこの日はやっぱり写真欲が高まっていたんだなという感じがするし、なによりもその日から、確かにぼくの写真の撮り方はすこしだけ変わったように自分でも思う。
 ぼくは喜びやすいタチなので、シェリルがぼくのZineを見ながら話をした後に「また会えるね」という風に言ってくれた言葉をいちいち覚えていて嬉しく思っている。本当にそうなってゆくようにと、また気分を高める。

1/30/2015

晴れのち雪

1月30日金曜日
 昨日は妻の実家で庭仕事をした。12月に剪定をしに行ったときの残りを、やっと済ませに行くことができた。たった数カ月だけ植木屋に勤めたことのあるだけの、それも植木畑での仕事だったのでハサミよりもスコップを主に握っていたという、インチキガーデナーだ。朝は凍える寒さだったが、だんだんと日が上るにつれて気持ちのいい陽気になり、そんな日差しを浴びて外で作業をするのは気分がよかった。それが一転、今朝起きたら予報通り雪が降り積もっている。細長い園芸用の緑の支柱を使って庭木の雪を下ろしていたら、簡単にぐねっと曲がってしまった。こんな日は一日家で作業をしようという気でいたが、やっぱり出掛けることにする。いつもと違うものが見られる機会だし、そんなふうに色んな景色をもっと見て歩かなければならないと最近増々思っているから。

1/27/2015

いつかどこかで起こっていたようなこと

1月27日火曜日
 電車に乗っていた。ターミナルになっている大きな駅に着く手前で減速し、その駅に着くまでの最後の数百メートル、電車はゆっくりと進んだ。窓際に立って外を眺めていたぼくの目線の先には電車用の大きな車庫のような倉庫があり、トタンのくすんだ水色がぼくの好きな色だった。そんなことを思いながらその車庫のような倉庫(もしくは倉庫のような車庫)を眺めていたら、その建物の隙間に、一瞬だけだったがキャッチボールをする男ふたりが見えた。ちょうど昼ごろだったから、昼食を食べ終えて運動をしていたのだろうと想像する。ただ、そんなくすんだトタンの倉庫の脇で、大人の男ふたりが作業着を着てキャッチボールをしている光景はぼくの目には印象的に映った。ひと昔前なら、どこかアメリカの田舎町を通過する列車からそんな光景が見られたんじゃないかというようなイメージが頭を過り、すこしばかり感傷的とも言えるような気分が、その瞬間こみ上げてきたのだった。
 次もその駅の手前に差しかかったら、きっと窓際に立ってまたトタンの色に見とれるだろう。そしてそのときには、そのトタンの色の向こうに、遠い国のいつかの哀愁を感じようとするかもしれない。ぼくが憧れるのは、そんな遠い日の、写真集や映画でしか見たことのないようなかすんだ映像だ。

SATURDAY WEB SHOP OPENED!



 ぼくのzineなど写真関連のものをオンラインで販売できるようにしてみました。たまに何か別のものが店に並ぶかもしれません。zineなどまだお取り扱い店は少ないので、もし興味をもっていただけたら是非覗いてください。(お取り扱いいただけるお店も募集しています)
 同時に最近のzineなどの情報をウェブサイト内で更新したので、そちらもよければ覗いてみてください。ウェブショップへのリンクはこのブログのページ右上の方にあります。もしくはhttp://atsushisugie.com/SHOPから進んでください。ご来店お待ちしています!なんていうと商売っぽくて苦手ですが、いいなと思っていただけるものがあれば是非ご利用ください。

1/26/2015

日記と手紙




1月26日月曜日
 数日前のことだが、写真展のオープニングに来てくれた友人から手紙が届いた。その日のぼくの日記の朗読を聞いて日記を書こうという気になり、ちゃんと伝えていなかった展示の感想をその日の彼女の日記として書き、そしてそれを手紙として送ることにした、とのことだった。こんなにももらって嬉しい手紙、そして展示の感想というのはあまりないと思った。ぼくに伝えるための書き方ではなく、彼女が見て感じたことを自分の言葉で自分だけに書き残しておく目的で(本来は)書かれた文章は、こちらも一種の緊張感と、そして臨場感のようなわくわくした気分を持って読むことができた。どういう形式で返事の手紙を書こうかなあと考えるのも楽しいし、そういう付き合いを続けられたらそれもまた素敵なことだと思う。先日までの写真展に引き続き、「丁寧に」ということを生活の中でもひとつ心掛けることができれば、またぼくもすこし成長できると期待したい。そうして自分の昨日の生活ぶりを振り返ると、いかに雑だったことか。

1/20/2015

THANKS, LOCAL AND YOU ALL !

1月20日火曜日
 一昨日18日日曜日にLOCALでの展示が終了しました。「丁寧に」ということを意識して制作、展示に臨んだ今回の写真展は、ひとまず今の自分が試みたかったやり方でできた、というささやかな満足感は感じています。それと同時に思いがけない新たな出会いもあり、個人的な感想としては、これから先への新しい一歩である、と思いたいです。
 よほど用事がないと足を運ばないであろうたまプラーザまで観に来ていただいた皆さん、来れなくとも気にかけてくれている友人たち、そしてなによりもあの素敵なスペースにぼくの写真を展示させてくださったLOCAL矢田さん、どうもありがとうございました。来てくれた友人たちから「いいお店」とか「ここで今度眼鏡つくりたい」という台詞をたくさん聞けたのもうれしかったです。(最終日の一番最後に来てくれたフォトグラファーの友人は実際に眼鏡をつくっていきました...)
 こうした好い人、好い場所との繋がりの中で活動をしてゆけるように、この小さな一歩を続けていかなくては、と改めて。そしてその隣にいてくれている妻に感謝を。