6/10/2012

すゞ子さんのこと

 晴れ、すこし曇りはじめた。
 今日、実家ではお婆ちゃんの一周忌が行われている。名前はすゞ子さん。近いうちに一度帰る予定なのでそのときにはお墓に行こう。お墓は実家の近くにあって去年はいつでも行けたのに、そういえば納骨して以来一度も行っていない。実家でずっと一緒に暮らしていたお婆ちゃんだから色々思い出すことはあるけど、元気だった頃の笑った顔と、晩年のどこか遠くを見ているような目が印象に残っている。写真学生時代にお婆ちゃんの写真集を作ったことがある。お婆ちゃんを主役にしたゆるい映画をイメージして、そのスチールを撮るように撮影した。写真集は自分でも満足いく出来だった。数冊作って親戚数人に送ったりして、もちろんお婆ちゃんにも一冊あげたら、しばらく枕元に置いて寝てくれていた。デイサービスにも持って行っていたらしく、それを見たお爺ちゃんお婆ちゃんの中には泣いてしまう人もいたなんて聞いた。今でも自分の展示会場に置いといて人に見てもらうといいコメントを頂ける。たまに、肝心のそのときの展示作品の感想よりもそっちの感想をもらったりすると、すこし悔しかったりもする。僕は特にお婆ちゃん子だった訳ではないし、むしろ子どもの頃は都合のいいように相手をしていた嫌な孫だった。今では想像もできないような話だが、小学生、生意気盛りのころに「クソババア!」なんて言ったことがある。そのときお婆ちゃんは怒ることなく「クソは要らんけどババだけもらとこか」と返してきた。生意気な小学生はそれに更にムカついただろう。やさしい人だった。写真集をつくってすこし経ってから、僕はまたお婆ちゃんを都合良く使ってしまった気もした。けど確かに僕らは少しの間、二人で写真撮影を楽しんで、そしてそれをモノに残した。そんな時間を過ごしたこと、そんな出来事があったことを思い出すと急にお婆ちゃんが恋しくなってくる。自分勝手な孫はこうやって良い話風に纏めようとするのだ。
 お婆ちゃんは僕ら孫が数日間出掛ける時、行ってくるねと言いに行くと毎回、泣きそうな声、表情になって両手で握手を求めた。孫たちにはそれは笑い話の種になっていたし、僕はその温かい気持ちをちゃんと丁寧に受け取ったことは無かった。お婆ちゃんの手は小さくて皮は薄くてしわしわで、いつも少しつめたかった。
 今一緒に暮らしていたらどれだけやさしくしてあげられるだろうと無駄なことを思う。無駄じゃないかもしれない。こんな気持ちになれた。遅いのは分かってるけどね、ありがとうお婆ちゃん。あの視線の先にいたお爺ちゃんと一緒にいることを願って。
 あっという間に夜になっている。さっきザアッと雨が降って来て、今はもう止んでいるのかな。