2/17/2013

CAFEE TRIESTE

 カフェトリエステ。本か何かで見たことがあったのだろう、サンフランシスコのノースビーチにその有名なカフェがあることは知っていた。多くの文化人たちも御用達の、歴史のある店ということだった。サンフランシスコに着いて三日後にそのエリアまで足を伸ばした。その時に泊まっていた宿からは、歩いて一時間もかからないくらいだったと思う。ノースビーチはイタリア風の飲食店が多く、イタリアの雰囲気が漂うエリアらしい。行ったことはないけど、そんな僕でもたしかにイタリアの雰囲気を感じた。シティーライツ・ブックストアという有名な本屋もある。
 カフェトリエステの前を最初に通った時は、様子だけ道の反対側から横目で見て、店内には入らなかった。入れなかったと言った方がいいかもしれない。店の外でコーヒーを飲みながら談笑したり、新聞を読む常連客たちが画になり過ぎていて、外から見るものだな、と感じてしまったのだ。その後もう一度店の前を通った時には、静かな街角のカフェだったし、ちょうど歩き疲れていたので素直に中に入った。カフェラテをカウンターでもらってから、店の奥の方の壁沿いの席を選んだ。ひとつ席を空けた右隣にいるおじさんはスケッチブックにクレヨンか何かで絵を描いていた。すこしすると左隣の席に、白髪で白ひげをたくわえた、太ったおじさんが座った。丸っこい眼鏡をかけて新聞を読んでいる。おじさんの足下にフと目をやるとVANSのスリッポンを履いていた。僕はこういうおじさんが大好きなのだ。けれど近距離でカメラを向けることはしたくない(できない)から諦めていたら、僕の正面の大きなテーブル席にいたお客が帰ると、おじさんは自らそこに移った。友人らしいおじさんがもう一人合流し、目の前で映画のワンシーンの撮影が始まったようだった。



CAFEE TRIESTE, North Beach, SF

 久しぶりに使ったスキャナがどうも調子が悪くてゴミがすごく付いてしまうけど、そこは大目に見てください。やっと暗室プリントを進めて行くことができていて、その中からたまに載せて行くつもりです。

2/16/2013

GREEN KITCHEN


 ついに、やっと始まった暗室作業。相模原の田舎にアトリエとして借りた物件はキッチンがミドリ色だ。今ではもう最初に感じたような違和感はなく、暗い雰囲気になりがちな暗室の印象を緩和してくれているようにも感じられる。キッチンと言っても、ガスは繋げていないし、電気の湯沸かし器でコーヒーとお茶だけ淹れられるスペースなのだけど。とりあえずは居心地のいい部屋をつくった。オークションで安く買った三人掛けの大きなソファも運び込んで、寝ることだってできそうだ。
 最近何人かの先輩方(自分が興味のある世界でやっている、長年やってきた人という意味で)とお話する機会があった。何人か、というか今思い浮かべているのは二人だ。一人とはコーヒーを飲みながら、もう一人とはワインを飲みながら、自分の写真を見てもらったり、これからのことを話したりした。その二人が共通して言ってくれたのは、簡単に言うと「考え過ぎ」ということだった。「みんなそんなに考えずにやってるよ」というニュアンスでもあった。全部をそのまま「そうですね」と聞くつもりは無いけど、それはとても意味のある言葉で、またひとつ楽になった感じ。自分自身のやりたいことをやりたいように続けていく、ということをますますシンプルに考えるようになってきた。と書いてまた気付いてしまうのは「考えている」こと。まあ、人それぞれのスタイルがあるのだから......。

1/31/2013

on the street in sf

 アメリカで何が、どこがよかったかと聞かれたら、ポートランドが一番気に入った街だとは間違いなく答える。それでもなんとなく一番行ってよかったと思えるのはサンフランシスコだという気がしている。こういう光景を見られたことがその大きな理由なんだろうな。それとニューメキシコでいくつか見た町も印象深い。その両方に通じるものは日本での日常と、今までの自分の経験とのギャップだと思う。帰国して二か月近く経つ。二月から神奈川でもアトリエとして借りる物件を見つけたし、まずは四月の展示に向けて撮り溜まっている写真ともう一度向き合っているところ。アトリエ作りの準備も兼ねて、週末は名古屋へ。



San Francisco, CA

1/19/2013

"MAYBE AMERICANS"




一年半も間が空きましたが、次回の展覧会のお知らせです。

ATSUSHI SUGIE EXHIBITION - photos and journals
"MAYBE AMERICANS"
2013.4.1 Monday - 4.14 Sunday

at ブラジルコーヒー in Kanayama, Nagoya

去年の秋にアメリカで撮ってきた写真と、それにまつわる文章を展示します。最終日にはスペシャルなクロージングパーティーを行います。自分も朗読をしますし、友人でもある名古屋のブルーストリオ、The Wepsies、そして東京からはなんと、Lonsome Stringsをお呼びします。最高の夜になりそうです。詳細はDM画像を参照してください。まだ先の話ですが、都合のつく方は4月14日にブラジルでお会いしましょう!

1/15/2013

MAYBE AMERICANS

 これも、前に一枚写真を載せたLos AngelesのSan Pedroにある小さなビーチでとった写真。前にも書いたけど、なんとなく寂しげな雰囲気があった。近くの広場ではBBQをして盛り上がっている大勢のメキシカンたちがいたから、そのギャップが尚更そう思わせたのだろう。ビーチにチラホラといたのも、ほとんどがメキシカンの家族だったと思う。けど今写真を見返して新たに思い始めているのは、もしそれが白人の家族だったらそういう印象を感じていただろうか、ということ。休日を人気の少ないビーチで穏やかに過ごしている、という印象を受けたのではないだろうか。けどやはりそれも意味の無い想像のような気がして、そんなことを考えるのもやめることにした。実際に見たものがあるのならあんまり深いことを考えようとするのもよくない。あのビーチは寂しげで、休日の楽しげな空気の外側にいるように見えたのだ。それが確かに自分が見たものだった。文章を書き始めると、気付くと何か意味ありげなことを言い当てようとしてしまうことがある。自分の手に負える自分の言葉で書き続けていかないとな、と改めて。
 アメリカのような多民族国家では、見掛ける人すれ違う人、その人をアメリカ人だと判断することはできなかった。正確に言うと、別にアメリカ人かどうかなんて考えることはなかった。外から来た人たちが集まってできている国なのだから当たり前と言えば当たり前で、けどそれは考えるとすごく変な感じがする。日本のような島国育ちの人間からすると特に変だ。だから『アメリカ人』という言葉すらもよくわからなくて、けど僕はアメリカ人をたくさん撮ってきたと言いたい。たぶんアメリカ人だと思う。真相は分からないけど。だからこそ、アメリカ人という言葉を使いたいと思う。



1/11/2013

マグカップと


 ここのところ、ポートランドのスタンプタウンコーヒーで買った、このいかにもアメリカらしいたっぷり入るマグカップでコーヒーを飲むことが多い。朝と昼と、夜は最近淹れていないな。ひとくちずつゴクッと飲む。コーヒーカップで啜るように飲むのも好きだけど、マグカップで飲む時はゴクッと飲みたい。だから以前に比べて、自然と一回に淹れるコーヒーの量も飲む量も増えた。これは間違いなくアメリカから帰って来てからの変化で、旅行中のことを思い返すと、そりゃそうだよなと頷ける。そしてそれに伴ってトイレが近くなった気もする。
 とりあえずまた生活をつくっていくための仕事探しの日々。理想がはっきりしている性格なだけに、現実との間を行ったり来たりし続ける。働いていなくてもこれはこれでなかなかタフな作業だ。名古屋にいたころのように、友人の繋がりで仕事も回っていったあの環境を夢見てしまう。正直、明日はどんな手段で探せばいいのだろう、という感じ。最近は寝坊助になってしまっているから、とりあえず朝はちゃんと早く起きるようにしたい。美味いコーヒーをゴクッと飲んで一日をスタートさせられたら良いことがあるかもしれない

1/09/2013

GO STRAIGHT


 年末年始、特に年が明けてからは毎日のように友人とご飯を食べたりコーヒーを飲んだりする時間があった。家へ招いたり東京で待ち合わせたり、新たないい出会いもあった。そんなことが続くとやっぱり時間が早く過ぎていく。書き終えていない、という時点でオカシイのだけど、まだ書き終えていない年賀状に「あけましておめでとう」とは書きづらくなってしまったし、前回書いたジョギングのことはもうとっくに生活の中には無い。あの一回が最初で最後だったが、その続きはきっと今週中にはまた始めるつもり、とまたここに書いて、なんとか実行していきたい。
 今日は相方の展示の搬出をしに、東京日本橋へ車で行って来た。帰り道、友人が書き初めしている写真を見た相方から、「書き初めするなら何て書く?」と聞かれた。お互いになかなか言葉が出て来ず、途中で道を聞いたりなんだかんだしているうちに違う話題に流れていたことを今思い出した。そして、そうだなー、とすこし今悩んで『直進』はどうかと考えた。まっすぐで暑苦しい感じ、苦手な響きだ。けど、すこしくらい頑固に行く時期があってもいい。あったほうがいいと思えるようになった。割と気ままに交差点では右や左に曲がって来たような今までだけど、通って行きたい道が見えて来た今、ちょっと頑固にまっすぐ。行けるかな。

12/27/2012

安物のジャージ

 初めて入る近所のスポーツ用品店で、きっと一番値段の安いジャージのパンツを買った。紺色の無地で、ブランド名もよくわからない物だ。好きでもないブランドのロゴがデカデカとプリントされた物を買うよりは、まだブランド名すらわからない、よくわからない物が見つかってよかった。本当にブランド名も何もプリントされておらず、内側のタグを見ると『カロライン(株)』という情報だけわかった。名前も気の抜けた感じで良い。さっそく夕方に近所の大きな公園までジョギングをした。こんなジョギングなんていつぶりだろうというくらい。今年の前半は植木屋の仕事で十分過ぎるほど毎日体を動かしていたし、今までも普段の生活の中で結構歩き回るほうだし、わざわざ時間をつくって運動することなんて無かった。ついにそれが必要と思えるほど運動不足を感じるようになったのだ。ロサンゼルスにいた9月、おばさんの家で体脂肪やら色んなものを測れる体重計に乗ったときに、みんなに驚かれるほどスポーツマン並の数値を記録したというのはもう思い出話なのだ。
 夕方四時半ごろ、気が付くともう日は沈んでいて、残されたオレンジ色に淡い水色と深い青色が重なって来ていた。ネムを鳥かごに戻し、ジャージのタグをハサミで切り、ウインドブレーカーを羽織って外に出た。携帯だけは持って行くことにしてポケットに入れて走り始めたが、ポケットの中で意外と動くのが気になったので手で握って走ることにした。一応時間も計ってみようと思って携帯のストップウォッチを起動させた。大きな公園があるのでそこまで行こうと思った。正確には、大きな公園のすこし手前に大きな池があって、前に自転車でそこを通ったときに水面に映る夕焼け空の色がきれいだったことが印象に残っているので、せめてそこまでは走りたいと思ったのだ。案の定その池に到着した時点でもうだいぶ暗くなっていたし、体力的にももう先に進む気にはならなかったので、結局公園までは行かなかった。それでもやっぱり池の水面の色はきれいで、そこに泳いでいるというか浮かんでいるたくさんのカモも気持ち良さそうだなと勝手に思ってしまう、静かな夕暮れ時の風景があった。もうすこし明るかったら違う道を通って帰ったかもしれないが、今日は同じ道を走って帰った。家に着いて庭で息を整えようとイスに座ると、額に汗が流れてきて背中でも汗がじわっと出て来ているのを感じた。これも久しぶりの体験だなあとなんとなく懐かしい気分になり、思い出していたのは植木屋で働いていたときのことと、高校生のサッカー部の頃のことだった。今日流した汗は、そのふたつの時のものとは比べ物にならないくらいちょっとだけの汗だが、汗の量以上に何か感じさせてくれたものがあった、といったらちょっと大袈裟だけど、なんとなく自分の中で何か新しいものが動き始めたような気分。そういうことは割とたまに感じることがあるが、気付いたら忘れてしまっていることがほとんど。今回のこのジョギングは続けていきたいし、続けていける気がする。店のジャージ特売コーナーに一本だけ残っていた無地の物がジャストサイズだというのも、そんなふうに前向きな気分にしてくれる出来事だった。

12/25/2012

クリスマスイブの朗読


言葉によって、言葉にできない、新しい宇宙を生み出す——
宮沢賢治の不朽の名作『銀河鉄道の夜』を小説家・古川日出男が朗読劇にしました
誕生から1年、同じ日、同じ場所から、始発列車がふたたび発車します
古川日出男が独自の視点で脚本に仕上げた朗読劇『銀河鉄道の夜』は、みずからの渾身の朗読とともに、音楽家・小島ケイタニーラブの音楽と歌、詩人・エッセイスト管啓次郎の書き下ろしの詩、翻訳家・柴田元幸のバイリンガル朗読が加わり演じられる、まったく新しい「賢治」の世界です。

 昨晩行ったイベントのチラシより。
 そんな朗読会、いや朗読劇と言うほうがやっぱり正しい、に行ってきた。去年の昨日も同じ場所にいた。今回は、去年は出演されていなかった柴田元幸さんも加わってより一層おもしろかった。実を言うと、去年はウトウト眠ってしまったりして、それまで観たことのなかったまさに"渾身"の古川日出男さんの朗読が印象的な体験だったというくらいで、内容なども大して心に残っていなかった。友人が今年もその情報を持ちかけてくれたので一緒に行った、というのが正直なところで、柴田元幸さんのことも知らなかった。けどアメリカ旅行に持って行っていた雑誌Coyoteのオレゴン特集の一冊の中で、柴田さんが書かれた記事がそういえばあったな、ということを名前の響きから思い出し、アメリカにまで連れて行った一冊の雑誌の中で存在を知っていたということにすこしだけ、何かのご縁かななんて気にもなっていた。銀河鉄道の夜が始まる前に、柴田さんによる、ポール・オースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の朗読を聴いた。聴いているうちにそれはいつか観たことのある『SMOKE』という映画と同じ話だということに気付く。心の片隅に静かに残っている映画で、その原作を翻訳したのが柴田さんだったという訳だ。朗読を聴きながら映像が断片的に頭の中に浮かんでくる興味深い時間で、コンタクトがやけに乾燥する目をたまにいじりながらも、物語に引き込まれる貴重な体験をした。その朗読を聴き終わる頃には、正確には朗読が始まってすこし経った頃には、僕は柴田さんのファンになり始めていた気がする。といっても翻訳された本を読んだこともないし、ただ勝手に感じていた僅かなご縁と、本人の声や容姿、雰囲気、そこから伝わる人柄に惹かれたということ。本を今すぐ探してきて読み始めようとまで思っていないが、その機会が訪れるのを楽しみに待てる。待つなんて受け身な言い方は変かもしれないが、そんな気分。終演後に話しかけることも簡単にできる場だったが、まあいいかなと思って一言も言葉を交わさずに帰ってきた。そして、促してくれた友人には「だから言ったのに」なんて言われてしまいそうだが、やっぱりそれをすこし後悔している。すこしでも話していたらきっとより一層人柄に惹かれただろうし、今日からその一冊目を読み始めていたかもしれない。続きはきっとそのうちどこかでできると思うのだけど。
 載せた写真はまたしても関係なく、手元に三冊目が置かれたWim Wendersの『Once』という本。二冊同じものを持っている話は前に書いたが、その日本版のものを昨日見つけたのだ。これは手元に置いておきたいと思ったので買ったが、英語版の方が遥かに自分の好きなつくりで、装丁もそうだが、家に帰ってきてから目を通して残念だったのは、日本版に載っている写真の印刷の質が低いこと。白黒写真が特に。それはその本自体の質もグンと落としてしまっていて残念。

12/24/2012

LITTLE THINGS


 最近は電車に乗って移動することが多い。東京へ出たり昨日は鎌倉へ。逗子の友人宅に泊まったので今日は逗子葉山をぶらぶらし、さっき帰宅した。電車内で吊り革につかまって立っていると無意識のうちに意外と強く握っていて指先に血が回っていない、なんていうことがよくあった。今日帰ってくるときもそれに気が付き、隣の中年男性を真似て手首ごと吊り革に通し、握らずに済むような使い方をはじめて試してみた。サラリーマンがよくやっているのを見ていたが、なんとなく今までは避けていたスタイルだ。手でグッと握る必要が無いのに大して手首にも負担が無く、これは楽で安定感があるなあとすぐに解決策を見つけた気分だった。けどその直後、窓ガラスに映った自分が見えたとき、どうしてもその手が「ニャン」とネコの手を真似るあの仕草に見え、恥ずかしくなってすぐに手首を抜いてギュッと吊り革を握りしめた。そうすると、今まで道りの握り方をしていても、前を見るとネコの手の自分が見えてゾクッとした。すこし考えたらすぐにその理由も分かり、要は手を握っているからそう見えていたということで、たしかに隣の男性は吊り革に通したその手を握りしめず、そしてパッと開く訳でもなく力の抜けた状態でぶら下げているようだった。さっそくまた手首を通し直し、そんなふうに力を抜いて引っ掛けているとこれが本当の解決策なのかもしれないな、と感じた。いいことを発見したみたいでちょっとだけ楽しくなり、それを試していたい気分だったけどすぐに自分の駅に到着してしまった。帰り道、自分の駅に着いた時に「着いてしまった」なんて気持ちになったのはもしかしたら初めてのことかもしれない。もちろんそれは本当にちょっとだけの気持ちではあるけれど、ひとついいことを発見したということに変わりはないだろう。まあ今後もうすこし試してみないとそれが結論かどうかはわからないけど。すくなくとも今日の発見、として。
 今年から暮らしているこの地域は、今のところまだ好きとは言えない相模原の住宅地なのだけど、駅から乗ったバスを降りて家まで歩いている途中、ベランダに大量の干し柿を吊るしている家を見掛けてすこし温まった。その前に犬の散歩をしている男性と薄暗い道ですれ違ったとき、犬に微笑んだ僕のことに気付いてかどうかわからないけど、そのお兄さんもニコニコしているように見えた。明日も午前中から予定があって東京へ出る。もちろん、できれば吊り革なんて使わずにシートに座りたい。
 この写真は関係ないけど、きのう仕込んだ白菜の漬け物。せめてもの季節の仕事として、白菜漬けだけでも毎年やり続けていきたい。そのモチベーションの半分近くは、実家にあったこの渋い重石を使っていたいという思い。