Carson and Abe-san, Harajuku
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4/25/2014
4/24/2014
Random update
Days with Carson Lancaster
The last day hanging out with Carson in Tokyo.
2年前のアメリカ旅行中にサンフランシスコで出会ったカーソン(Carson Lancaster)が、3月の終わりから先週末まで日本に来ていた。僕はロサンゼルスのマリブで彼のお兄ちゃんに会ったことがあり、その時に「サンフランシスコに行くなら、俺の弟も写真家で自分のギャラリーもやっているよ。」と言って僕のノートに連絡先を書いてくれたのが事の始まりだった。Book & Job Galleryというギャラリー。最初に彼に会いに行った時、思っていたより若かったのですこし驚いた。僕のひとつ年上。そして面白かったのは、先日会ったときに話していたら、彼は彼で僕のことを32歳くらいだと思っていたようで驚いていた。今、彼は26でぼくは25。ギャラリーでの初対面の時、自己紹介をしてお兄ちゃんの名前を出すと一気にニコッとして受け入れてくれたような感じだった。事実、彼は地元ロサンゼルスに暮らす家族のことをとてもリスペクトしているんだな、という印象を度々受ける。Zineを見せ合ったりしながらすこし話した後、ギャラリーを閉めて近くの彼のアパートへ行った。まだ昼間だったからこんな自由にギャラリーを閉めてしまっていいのか?と思ったが、同時に、彼と仲良くなれそうでワクワクしていた。アパートの最上階の部屋は屋上へも繋がっていて、僕は周りの風景を物珍しくぶらぶら眺めて過ごし、彼はパソコンで何か作業をしているようだった。後日サンフランシスコを経つ前にもう一度ギャラリーへ彼に会いに行ったが、その時は何を話したか憶えていない。彼とはその後Zineを送ったり、フェイスブックでたまに連絡を取り合っていた。1日2日しか会っていないし、そう大して深い付き合いをした訳では無かったが、僕は彼をとても善き友人だと思ってきた。同じように白黒フィルムにこだわって写真をやっているから、歳が近いから、初めて会った時に疲れ果てている様子で、弱い部分を垣間見たから、連絡を取り合う時、彼の使う英語の言い回しがなんとなく格好いいから......。いくつかの理由があるかもしれないが、一番はやはり言葉で表しづらい、会ったときの、彼自身から感じ取れる雰囲気が好いということだろうと思う。
今回日本へ一緒に来ていた彼女のマディソンと、僕の家へも遊びに来てくれた。とても素直で可愛らしく、そして気の利く素敵な女の子だった。テラスで手巻き寿司を食べ、リビングでコーヒーを飲んだ。大して面白いものが無いから、できることと言ったらそんなことをしてリラックスしてもらうしかないような家なのだ。ただ、日本各地を動き回り東京の街を歩き回っていた彼らは、そんな時間をゆっくり楽しんでくれたようだった。その数日後に、東京自由が丘にあるDIGINNER GALLERYで開催された彼の写真集のリリースと写真展のオープニングで再会した。正確には彼の写真ではなく、彼のおじさん(おそらく名付けの親)Wynn Millerが昔撮影したものを彼がプリントし、そして編集して写真集も作ったということだった。会場では期せずして友人に会ったり、新しい友人もできた。同じようなものに興味を持っていると、こうもうまい具合に繋がっていくものだなあ、と改めて感じてしまう夜だった。展示は今月27日日曜日まで。
カーソンが帰国する前日、僕は仕事が休みで、彼ともタイミングが合ったので昼間東京へ出て遊ぼうということになった。前日すこしだけ言い合いをしたことと、朝彼女はまだ寝ていたから、という理由でマディソンを置いて忍び足で出てきた、という僕の「マディソンは?」という問いに対する答えが愉快だった。その日は僕が連れて行きたいお店を回り、jcookでお茶をしているところで写真家の阿部さんも合流してくれた。阿部さんは、まさに先に書いたカーソンの展示のオープニングで出会った新しい友人だ。instagram上でお互いに知ってはいたのだが、ついに会うことができた。コーヒーを飲み、本屋に寄ったりしながら歩いてカーソンを駅まで送った。彼はラッシュアワーになる前に泊まっている家へ戻りたがっていた。そこを歩いたのは中学生の修学旅行の時以来だろうか、自分には縁の無い竹下通りを抜け、原宿駅に出た。別れを言う前にすこしの間、特に何を話すでもなく、3人とも周りを見渡したりカメラを誰かに向けたりする時間が印象的だった。夕方の陽射しが体感的にも視覚的にも暖かくて、きれいな時間だった。きっと他のふたりも同じようにその時間を、すこしだけ愛おしく感じていたのではないかと思う。僕が 'We'll miss you.' なんてださいことを言ってしまうと、カーソンは 'Fuck, man.' と返してくれた。別れを言って改札へ向かう彼と、それを見送る阿部さんと僕。面白いことにやっぱりふたりともカメラを手にし、改札を抜けた先のカーソンを撮ろうとしていた。けれどあっという間に人混みに隠れてしまい、振り返ることもなく歩いて行った。今度はきっとまたサンフランシスコで。
TABI BAGLE |
jcook |
Carson & Abe-san |
2年前のアメリカ旅行中にサンフランシスコで出会ったカーソン(Carson Lancaster)が、3月の終わりから先週末まで日本に来ていた。僕はロサンゼルスのマリブで彼のお兄ちゃんに会ったことがあり、その時に「サンフランシスコに行くなら、俺の弟も写真家で自分のギャラリーもやっているよ。」と言って僕のノートに連絡先を書いてくれたのが事の始まりだった。Book & Job Galleryというギャラリー。最初に彼に会いに行った時、思っていたより若かったのですこし驚いた。僕のひとつ年上。そして面白かったのは、先日会ったときに話していたら、彼は彼で僕のことを32歳くらいだと思っていたようで驚いていた。今、彼は26でぼくは25。ギャラリーでの初対面の時、自己紹介をしてお兄ちゃんの名前を出すと一気にニコッとして受け入れてくれたような感じだった。事実、彼は地元ロサンゼルスに暮らす家族のことをとてもリスペクトしているんだな、という印象を度々受ける。Zineを見せ合ったりしながらすこし話した後、ギャラリーを閉めて近くの彼のアパートへ行った。まだ昼間だったからこんな自由にギャラリーを閉めてしまっていいのか?と思ったが、同時に、彼と仲良くなれそうでワクワクしていた。アパートの最上階の部屋は屋上へも繋がっていて、僕は周りの風景を物珍しくぶらぶら眺めて過ごし、彼はパソコンで何か作業をしているようだった。後日サンフランシスコを経つ前にもう一度ギャラリーへ彼に会いに行ったが、その時は何を話したか憶えていない。彼とはその後Zineを送ったり、フェイスブックでたまに連絡を取り合っていた。1日2日しか会っていないし、そう大して深い付き合いをした訳では無かったが、僕は彼をとても善き友人だと思ってきた。同じように白黒フィルムにこだわって写真をやっているから、歳が近いから、初めて会った時に疲れ果てている様子で、弱い部分を垣間見たから、連絡を取り合う時、彼の使う英語の言い回しがなんとなく格好いいから......。いくつかの理由があるかもしれないが、一番はやはり言葉で表しづらい、会ったときの、彼自身から感じ取れる雰囲気が好いということだろうと思う。
今回日本へ一緒に来ていた彼女のマディソンと、僕の家へも遊びに来てくれた。とても素直で可愛らしく、そして気の利く素敵な女の子だった。テラスで手巻き寿司を食べ、リビングでコーヒーを飲んだ。大して面白いものが無いから、できることと言ったらそんなことをしてリラックスしてもらうしかないような家なのだ。ただ、日本各地を動き回り東京の街を歩き回っていた彼らは、そんな時間をゆっくり楽しんでくれたようだった。その数日後に、東京自由が丘にあるDIGINNER GALLERYで開催された彼の写真集のリリースと写真展のオープニングで再会した。正確には彼の写真ではなく、彼のおじさん(おそらく名付けの親)Wynn Millerが昔撮影したものを彼がプリントし、そして編集して写真集も作ったということだった。会場では期せずして友人に会ったり、新しい友人もできた。同じようなものに興味を持っていると、こうもうまい具合に繋がっていくものだなあ、と改めて感じてしまう夜だった。展示は今月27日日曜日まで。
カーソンが帰国する前日、僕は仕事が休みで、彼ともタイミングが合ったので昼間東京へ出て遊ぼうということになった。前日すこしだけ言い合いをしたことと、朝彼女はまだ寝ていたから、という理由でマディソンを置いて忍び足で出てきた、という僕の「マディソンは?」という問いに対する答えが愉快だった。その日は僕が連れて行きたいお店を回り、jcookでお茶をしているところで写真家の阿部さんも合流してくれた。阿部さんは、まさに先に書いたカーソンの展示のオープニングで出会った新しい友人だ。instagram上でお互いに知ってはいたのだが、ついに会うことができた。コーヒーを飲み、本屋に寄ったりしながら歩いてカーソンを駅まで送った。彼はラッシュアワーになる前に泊まっている家へ戻りたがっていた。そこを歩いたのは中学生の修学旅行の時以来だろうか、自分には縁の無い竹下通りを抜け、原宿駅に出た。別れを言う前にすこしの間、特に何を話すでもなく、3人とも周りを見渡したりカメラを誰かに向けたりする時間が印象的だった。夕方の陽射しが体感的にも視覚的にも暖かくて、きれいな時間だった。きっと他のふたりも同じようにその時間を、すこしだけ愛おしく感じていたのではないかと思う。僕が 'We'll miss you.' なんてださいことを言ってしまうと、カーソンは 'Fuck, man.' と返してくれた。別れを言って改札へ向かう彼と、それを見送る阿部さんと僕。面白いことにやっぱりふたりともカメラを手にし、改札を抜けた先のカーソンを撮ろうとしていた。けれどあっという間に人混みに隠れてしまい、振り返ることもなく歩いて行った。今度はきっとまたサンフランシスコで。
On the rooftop of Carson's apartment. San Francisco, 2012 |
4/22/2014
'cloth' by LOCAL
'cloth' by LOCAL レンズ拭き - 600yen
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横浜たまプラーザにある眼鏡店LOCALに素敵な機会をいただき、僕の写真がプリントされたレンズ拭きが出来上がった。これを作るからという訳では無いけれど、先月からコンタクトレンズを一旦やめて眼鏡で生活をしている。使い捨てコンタクトのストックが無くなってしまい、買いに行くのが面倒といういい加減な理由なのだけど。そしてこうして眼鏡に関連したモノを作ることができたので、きっとしばらくは眼鏡だろうと思う。それにこれはカメラのレンズにだって使えるのだ。
LOCAL店主の矢田さんとの付き合いが去年始まってから、最初に二人で会って話をしたのはお店のすぐ裏にある、古くからやっている自家焙煎の喫茶店でだった。僕が頼んだブレンドは「エーデルワイス」と名付けられていたような記憶があるが、それもうろ覚えだ。ピラフを食べながら、コーヒーを飲みながら、矢田さんが話してくれた眼鏡店を営むことへの思いや姿勢はとても興味深かった。そんな話をしながら僕は、次はこの店で、というかこの人の手から眼鏡を買おうと決めた。
今のところまだ僕はネットショップのようなものを用意していないので、欲しい方は直接連絡をください。もちろん、LOCALへ出掛けて行くというのも、とてもいい選択です。
せっかくなので、この写真を撮ったときの日記と、オリジナルの写真を載せます。去年作ったZine 'MAYBE AMERICANS+' にも載せているものです。ロサンゼルス、海辺のカフェは西日が眩しく、コーヒーをひと口啜り、眼鏡を外して、昼間の砂埃を拭き取る。なんて。
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旅のはじまり、ロサンゼルスに住むおじさん・おばさんの家にお世話になっていた間に、Scotty'sというダイナーの常連になりつつあった。ハモサビーチの海岸通り沿いに位置しているその店では窓辺の席に座る。すぐ外を歩いたりジョギングしたり、自転車やスケボーで通って行く人々を、コーヒーを飲みながら眺める時間が好きだった。その日はちょうど夕暮れ時で、そんな窓の外を通り過ぎて行く人や砂浜で遊ぶ人、桟橋の上できっと同じように夕焼けを眺めている人越しに、日が海に落ちて行くのが見えた。
店を出てすぐに、席の足下にスケボーを忘れてきたことに気付いて取りに戻った。実ははじめてその店に行った日も同じことをしてしまい、しかもちょうどその時と同じ店員のお兄さんと目が合ってしまったのだ。「君いつも忘れるね~」と言って笑われた時、なんだか僕はうれしい気分になっていた。
Scotty's on the strand. Hermosa Beach, Los Angels, CA |
4/17/2014
summer works 1998
先日届いた一枚のポストカード。自分でも持っているポストカードだったから、帰宅してテーブルに置かれたそれを見たときは、すこし変な気分だった。送り主はその作者、永井宏さんの奥様、恵子さんだった。その数日前に季節のご挨拶のような葉書をこちらから送ったので、そのお返事としていただいた。葉書のやりとりはとても心地いい。そのポストカードが届いた日の翌日は休みだったので、僕は三浦半島まで車で走って行った。まず永井さんのお墓参りをし、葉山のsunshine+cloud内のカフェで昼ご飯を食べ、友人と合流してコーヒーを飲んだ。港町にある立派なお寺の裏にある墓地はとても静かで穏やかな空気が流れていて、毎回、気付くとゆっくり深呼吸をしている自分に気付くような場所だ。すこし高台にあって、向こうには海が見える。そしてトンビがずっと鳴きながら旋回している。海辺の町では当たり前のことか。sunshine+cloudではまさに前日にポストカードを送ってくださった恵子さんにも久しぶりに会え、ちょっとした近況報告のおしゃべりを顔を見てできたことがうれしい。表情も雰囲気も、以前よりも明るい印象を受けた。もっとも、恵子さんのことはまだまだ知らないことばかりなのだけど。
友人カップルとコーヒーを飲み、散歩し、彼らの家でゆっくりしているとあっという間に日が暮れていった。雨が急に降ってきたと思ったら5分もせずにすぐに止んだ。そのせいですこし冷えた夜の空気の中、寒いなあと呟きながら帰路につく。それでも昼間はTシャツビーサン日和で、久しぶりの友人との時間も楽しく、温かい一日だった。
今夜は等々力にある巣巣で開催中の永井さんの展覧会へ。恵子さんをはじめ、永井さんの近くにいた方々のトークと、去年僕の展覧会オープニングでもライブをしてくださった山田さんのライブ、というとても興味深いイベントが行われる。永井さん自身や、永井さん周辺の人やコトにずっと憧れてきた僕だが、亡くなってしまってから、その気持ちはどんどん強くなっているように感じるし、この気持ちはずっと持ち続けていくのだろう。もう彼はいない、ということで、本当に永遠という言葉が意味を持ってしまった、というような感じ。
4/01/2014
Flower
花の苗をひとつ買おうとしている男の子がいた。植えつけるための適当な大きさのプラスチックの白い鉢も選んだ。鉢底に敷く石は家にありそうだが、土は無いかもしれないということで、念のため母親に電話で訊いた。そうして草花用の培養土の小さな袋も腕に抱えてレジへ向かう途中、友人の親か近所の人だろうか、声をかけられて立ち止まった。誰かにプレゼントなのかと訊かれると間をおいて、うん、と返事をした。お母さん?と訊かれると今度はさらにもう少し間をおいて、うん、と返事をした。とてもいい場面を見られてなんだかほっとしたと同時に、僕は母親に何かプレゼントしたことがあっただろうか、と思い返していた。たぶん今まで誕生日でも母の日でも、母親に、だけでなく父親にも何かまともにプレゼントを渡した記憶はほとんどない。けれどひとつだけ憶えているのは、小学校中学年か高学年くらいの頃だっただろうか、いつもの遊びの帰り道、自転車でふと寄ったコンビニで母の日のプレゼントを買って帰ったことがあった。ラベンダー色で、手に収まるくらいの大きさの何かだった。ラベンダーの香りがする何かだったかもしれない。その程度にしか憶えていないが、こうして思い出していると、それを手渡した時の気恥ずかしさもなんとなく青く甦ってくるような気分だ。そのラベンダー色の何かは、その後しばらく母親の車の中に吊り下げられていたこともなんとなく思い出した。母親の車に乗って出掛ける機会は多かったからそれが普通の景色になっていたけれど、ふとした時にそれがぷらぷら揺れているのが目に留まった時は、すこしうれしかった。きっと、それ以来僕からは何も贈っていない。去年の母の日にはラベンダーの鉢植えを贈ったが、それは僕からというよりかは相方からの気持ちで、だった。そんな自分のことを思い返した後にあの少年のことを思うと本当に微笑ましい。来年も続けて何かをプレゼントするだろうか。もしくは彼にとっても、少年時代の母親への唯一のプレゼントの思い出となるだろうか。けれど、本当のところ僕は、彼が植えた花は母親の手元へなんて渡っていないと思っている。その方が、もっとずっと微笑ましい。
写真は文章と関係のない、冬につくった寄せ植え。
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