4/01/2014

Flower



 花の苗をひとつ買おうとしている男の子がいた。植えつけるための適当な大きさのプラスチックの白い鉢も選んだ。鉢底に敷く石は家にありそうだが、土は無いかもしれないということで、念のため母親に電話で訊いた。そうして草花用の培養土の小さな袋も腕に抱えてレジへ向かう途中、友人の親か近所の人だろうか、声をかけられて立ち止まった。誰かにプレゼントなのかと訊かれると間をおいて、うん、と返事をした。お母さん?と訊かれると今度はさらにもう少し間をおいて、うん、と返事をした。とてもいい場面を見られてなんだかほっとしたと同時に、僕は母親に何かプレゼントしたことがあっただろうか、と思い返していた。たぶん今まで誕生日でも母の日でも、母親に、だけでなく父親にも何かまともにプレゼントを渡した記憶はほとんどない。けれどひとつだけ憶えているのは、小学校中学年か高学年くらいの頃だっただろうか、いつもの遊びの帰り道、自転車でふと寄ったコンビニで母の日のプレゼントを買って帰ったことがあった。ラベンダー色で、手に収まるくらいの大きさの何かだった。ラベンダーの香りがする何かだったかもしれない。その程度にしか憶えていないが、こうして思い出していると、それを手渡した時の気恥ずかしさもなんとなく青く甦ってくるような気分だ。そのラベンダー色の何かは、その後しばらく母親の車の中に吊り下げられていたこともなんとなく思い出した。母親の車に乗って出掛ける機会は多かったからそれが普通の景色になっていたけれど、ふとした時にそれがぷらぷら揺れているのが目に留まった時は、すこしうれしかった。きっと、それ以来僕からは何も贈っていない。去年の母の日にはラベンダーの鉢植えを贈ったが、それは僕からというよりかは相方からの気持ちで、だった。そんな自分のことを思い返した後にあの少年のことを思うと本当に微笑ましい。来年も続けて何かをプレゼントするだろうか。もしくは彼にとっても、少年時代の母親への唯一のプレゼントの思い出となるだろうか。けれど、本当のところ僕は、彼が植えた花は母親の手元へなんて渡っていないと思っている。その方が、もっとずっと微笑ましい。
 写真は文章と関係のない、冬につくった寄せ植え。