9/25/2012

Good night for tomorrow.


 この旅がはじまってから一番気分のいい夜。特に何かうれしい出来事があった訳ではないし、酔っぱらっている訳でもないのだが、なんとなくいい気分だ。夕方サーフィンをしようと車を走らせてたどり着いたのは、有名なサーフスポットMalibu。マリブはいくつかのサーフムービーで見たことのあるスポットで、ゆるくてメローなサーフビーチという印象を持っていた。行ったのが夕方だったこともあるが、そのイメージ通りでそんなに込んでいないし、今まで見て来たカリフォルニアのビーチと比べると小さくてもうすこしローカルなビーチで、その外に開き過ぎていない感じが落ち着いた。今日は道の選択を間違い、思っていたより到着が遅くなってしまったので海には入らなかったが、明日かあさってにまた行こうと思う。帰り際に話をしたローカルのおじさんサーファーがいろいろと教えてくれた。どのポイントで入るのがいいとか、朝は結構込んでいるとか、今日のこの波ならこうだ、とか。けど朝一番に行こうと思っている。朝一番に入って、昼間にサンタモニカをぶらぶらして、夕方またマリブへ戻って波乗り、なんてことを思い描いてワクワクしているのだ。位置関係は、今いるベニスビーチとマリブの間にサンタモニカがある感じだ。サンタモニカは大きくてきれいで有名なショッピング街があるがそれには興味が無く、二つ行きたいギャラリーがあるのだ。僕が好きなアーティストも結構繋がっているらしく行ってみたいと思っていた"NEW IMAGE ART"と、写真ギャラリーの"Annenberg Space for Photography"だ。そんなことを考えているので今晩は気分がいいのだろう。昨日から来ているこの宿での居場所がなんとなくできてきたのも大きいと思う。今は大きなダイニングテーブルで三人組の外国人の会話を聞きながら、たまに一緒に笑ってみたりしながらPCを触っている。感じのいい三人だ。この宿は$1.25で缶ビールが買える。バドワイザーはあまり好きではないがこんなに安く飲み続けることはなかなかできないので、確かにそういう意味でも気分がよくなりはじめている。昨日三人いた日本人はみんな今日旅立って行き、日本人ひとりになったことは実はうれしいニュースだ。日本人がいると彼らと話をしてしまう。けどちゃんと付け加えておくが、その三人とは繋がれてよかったと思っている。みんなそれぞれ感じのいい三人だった。Have a great trip!!

2012.9.24mon night wrote

TAKE IT EASY.

 Trestles

 " TAKE IT EASY ! "
 肩の力が抜けて、前向きな気持ちになれるいい言葉だなあと思う。ここのところこの言葉を自分自身に言い聞かせて旅の日々を過ごしている。「気楽にいこうぜ!」と訳したらいいだろうか、きっと多くの日本人も知っているフレーズだ。アメリカへ来て最初にその言葉を意識しはじめたのは、二日目にVenice Beachのスケートパークへ行った時だった。たくさんの大人に混じって、ひとり小学校低学年くらいの小さなスケーターがいた。彼は周りの大人たちに退きを取らない滑りを見せていて、むしろ怖いものが無いといった感じで誰よりも果敢に滑り続けていた。失敗をすると半ばムキになって挑み続ける彼に、ひとりの大人が言った言葉が"Take it easy!"だった。自分が眺めていた、聞いていたそのワンシーンがなぜかはっきりと記憶に残っている。旅がはじまって二日目で、周りのすべてが新鮮で落ち着かない気分の自分にも、「気楽にいこうぜ!」という言葉が心地よく響いたのだろうな、と今思う。
 そのベニスビーチへ昨日からまた来ている。安宿に泊まって数日間この町で過ごしてみたいと思った。昨日の夕方、ビーチの方は日曜日ということもあって騒がしいくらいにたくさんの人がいて、ビーチ沿いの通りにはパフォーマーや物売りもいた。その通りを歩いて行くと向こうの方から太鼓の音が聞こえてきたので、ビーチを海のへ向かって歩いて行くとドラムサークルができていた。20人ほどの太鼓を叩く人たちに混じって多くの人が踊ってみんながハイになっていた。ちょうど日の入り時で、夕日と海と遠くの山を背景にしたその人集りがきれいでしばらく眺める。日が落ちてからも続けられ、盛り上がりが最高潮に達しようかというところで、パトカー三台が制止しに来て終わった。日曜日の夜、みんなそれぞれの生活へ戻って行く時間だ。僕もすこしぶらぶらして宿に戻った。
 すこし遡ると、四日前におばさんの家を出てレンタカーで動きはじめた。今回は(前回高校生のときに来たときには終始お世話になりっぱなしだった)すこし顔を出す程度のつもりでいたが、やっぱり色々と気を利かせてくれて居心地が良かったので、結局一週間以上も泊まっていた。いとこのモニカも大学受験を前にして親子で忙しい時期だったろうけど、海外での旅をこんなにきもちよくスタートできるなんて、本当に感謝だ。そんな環境から急にポンと外へ出て、慣れない土地での慣れない運転がはじまったのですこし、いや結構気が疲れてしまったロードトリップ一日目。このレンタカーは約一か月後にサンフランシスコで返却できるように借りているので、それまでモーテルやホステル、キャンプ場などで寝泊まりしながら行きたい町をまわって行く予定だ。まずは南の方へも少し行ってみようと、一日目に"Trestles"と呼ばれるサーフスポット、San Onofre State Beachへ行った。Hermosa Beachで出発前に寄ったサーフショップET SURFのお兄さんと、PIER SURFのTorch(その後名前を聞いた)の二人ともがまずお勧めしてくれたのがTreslesだったのだ。ちょうどサーフブランドHurleyの大会がやってて世界のプロが集まってるとのことだった。到着したのはもう夕方で大会は終わっているようだった。けど本当に美しいビーチで、ここでも日が落ちるまでぶらぶら歩いたりサーファーを眺めていた。暗くなってからの慣れないフリーウェイは怖い。ガソリンも無くなりそうになったところで寄ったガソリンスタンドのおじさんに安いモーテルを教えてもらい、やっとしっかり息が吸えた感じ。これからはなるべく夜は運転せずに済むように動いて行こうと思う。それからの数日はTrestlesとRedondo Beachの間あたりに位置するHuntington Beachに居た。サーフィンもするが、基本的にはただぶらぶらする日々がつづく。そうなるとやはり色々考えてしまうが、まさにそんなときに効くクスリが"Take it easy!"だ。まだ出会いという出会いが無く、旅としては物足りなさを感じてしまうが、自分がずっと興味のあった土地を好きなように旅しているこの時間自体がきっと自分には意味があるのだと信じて、take it easy、気楽に旅を続けようと思う。
 今朝は同じ部屋のみんなより早く目が覚め、果物を食べ、散歩がてらコーヒーショップへ行った。店内で少し飲んでから宿へ向かってまた歩き始める。紙コップを持ってカメラだけをぶら下げて歩いているとこの町に住んでいるような気分になってきて、久しぶりに胸を張って歩けた。

2012.9.24Mon Before noon wrote.

9/17/2012

ONE WEEK


 レンタカーを借りて動き始めるまでの間、サーフボードはハモサビーチのおばさんのお店のバックヤードに置かせてもらっている。昨日は朝おばさんにお店まで乗せてもらい、それからひとつ北のManhattan Beachまでサーフボードを抱えてスケートして行った。その行為自体が、一度やってみたいと思っていたことだったのだ。セミロングと言ったらいいのかファンボードと言っていいのか、ショートとロングの間くらいの大きめの板なので持ちにくいし、結構腕が疲れる。日差しの強いかんかん照りの一日でなんとか海パンだけでやれたが、友人から聞いていたようにこっちの海は水温が低く、しばらくするとだんだん寒くなって来て、そしたら砂浜に上がって昼寝、そして暑くなって来たら波乗り再開。と、そんなことを6時間ほど繰り返していた。
 夕方にはハモサに戻り、常連になりつつあるカフェレストラン、Scotty's on the strandで軽食とコーヒーを注文する。昼間は砂浜から動くのがなんとなく面倒で、ご飯をまだ食べていなかった。Happy Hour Menuがあって、その中からShrimp Baja Rollsというのを選んだ。軽食といってもやっぱりボリュームがあってすこし満腹になる。夜は友人とご飯を食べる約束をしているのに。Scotty'sは海岸にずっとつづくウォーキングロード沿いにあり、窓辺の席に座ってそこを通って行く人々を眺めるのが最近のお気に入りだ。きれいで開放感のあるレストラン風の部屋と、もうすこし小さくそれぞれがゆっくりできるような喫茶店風の部屋とに分かれていて、もちろん後者を選ぶ。昨日はちょうど夕暮れ時だったので、すぐ外を通り過ぎて行く人や砂浜で遊ぶ人、Pierの上できっと同じように夕焼けを眺めている人越しに、日が海に落ちて行くのを眺めていた。
噂には聞いていたが、本当にこっちは何度も何度もコーヒーのおかわりを注ぎに来る。マグカップでサーブされるので始めから量が多いのにそんなには何杯も飲めないのだが、彼ら、彼女らにとってはそれが良いサービスだという考えなのだろう。最初は、コーヒーが残り少なくなったら、とか、目が合うと注ぎに来てくれるのかと思ったが全くそれは違った。彼女らは僕がどのくらい飲んだかなんて気にしていなくて、きっと、なんとなく手が空いた時やフとした時にコーヒーを注ぎに回る。ニコッと微笑みながら「おかわりどう?」とコーヒーサーバーを持って近付いてくるのだ。前回はまだ8分目くらいまで入っているのに注ぎに来て驚いたが、昨日は9分目どころかまだふた啜りくらい飲んだだけで、すかさず来た。断る時は断るしもう要らないと伝えるが、そこまですぐに来られると注がれたところで大して変わらないので、好きなように注がせてあげる。こんな言い方をしたくなるほど、彼女たちはおかわりを"注ぎたがっている"のだ。そんなことを繰り返すが実は僕もそれをすこし楽しんでいるし、ここは居心地が良い。店を出てすぐに席の足下にスケボーを忘れて来たことに気付いて取りに戻る。実ははじめて来た時も同じことをしてしまって、しかもその時と同じ店員のお兄さんとちょうど目が合い、「いつも忘れるねー」と言って笑われる。憶えてくれていてうれしかった。
 高校以来会っていない友人がすこし南のロングビーチという町に住んでいることが分かり、連絡を取って夕飯を一緒に食べに出掛けた。彼とは小,中学生のころ地元のサッカーの選抜チーム(といっても大したものではない)で一緒で、高校時代はたまに対戦相手だった、という程度の友人だ。そんなに遊んだことも無かったが、せっかく近くに居るならという感じでそんな話になったのだった。彼はマサヤという名前だが、僕にはちょうど同じような関係で同じ名前の友人がもう一人居る。車を持っている彼にハモサビーチでピックアップしてもらったのだが、なんとそこに現れたのは僕が思っていた方と違う、もう一人のマサヤだったのだ。たしかに直前の電話で久しぶりに聞いた彼の声はイメージと違ったが、それなりに時が経っているしまさかそんなことは予想しなかった。さすがに驚いたが、どちらのマサヤとも同じような付き合いだったので、すこし頭を切り替えればいいだけのことだった。久しぶりでさらに人を間違えていたにも関わらず、会ってみれば自然にいろんな話ができ、タイ料理を食べながら楽しい時間を過ごし、次はどこどこに食べに行こうと言って別れた。自分の勘違いが生んだ勝手なサプライズだったが、昨晩寝る前に気付いたのは、もう一人の方はマサシだということ。
 今日はおばさんといとこのモニカ、あと遊びに来ているモニカの友人とブランチを食べに行ったりすこし出掛けていた。きのう日を浴び過ぎたのだろう、身体が火照っていてすこし疲れている。
いきなりレンタカーで初のアメリカドライブは怖いだろうからと、おばさんが火曜日に2時間の自動車教習を予約してくれた。なので水曜日からレンタカーをかりて動き始める予定で、ついに自分の旅がはじまる感じ。日本を出てまだ一週間なんだなと昨日フと思った。その前夜祭のような気分で土曜日の夜に思い切り楽しんだ、名古屋の友人がやっているツクモクというバンドの東京でのライブも、ずいぶん前のことのように感じる。その土曜日の昼に、相方と小鳥屋さんへ見に行って出会ったインコが、ついに家へやってきたようだ。帰る楽しみもひとつ増えた。

2012.9.16sun evening wrote.

9/15/2012

PIER SURF in Hermosa Beach,LA



 2012.9.13thu

 とりあえずハモサビーチまで行き、Pierの途中にあるベンチに座る。波があればすぐにでも板を買って来て海に入ろうという気になるが、昨日は特に静かな海だった。だいだい、ハモサビーチはそんなにいい波が立つポイントではないのだけど。一昨日からずいぶん涼しくなった。よほど毎日海に入ったりしない限り、この辺りでスケボーだけで動いて生活するのはすこし退屈に思えて来た。なんせロスは完全な車社会で、車が無ければ行動範囲が極端に限られてしまう。そろそろ、というかもう、と言った方がいいのか、時間を持て余しているような気分になりはじめる。それを解消すべく、という訳でもないのだが先日から気になっていたサーフボードを買いに行く。海岸から5分ほどすこし坂を上って行ったところにある、ET SURFという古くからやっているという大きなサーフショップ。前回と同じお兄さんとちょうど目が合い、またあの板を見てもいいかなと声をかける。しばらくの間悩むが、やっぱりこれが今の自分にはベストだと決心。考えてみたらサーフ道具は何も持って来ていないので、ウェットスーツ・リーシュ・ワックス、そしてキャリーバッグのすべてをそろえなければならないのだった。そのお兄さんは僕の拙い英語の質問に何でも答えてくれて感じがいいし、もうここで一気に買いそろえてやろうと、必要なものを全部買った。なんとなく思い切ったことをしたような気になるが、サーフィンするならどれも絶対に必要になるものなので、それは自然な買い物なのだと言い聞かせる。
 ハモサにはいくつものサーフショップがあるが、もうひとつ気に入っている店がある。その名の通りPierの手前の店が立ち並ぶ通りにある、PIER SURFというここも歴史のあるらしい店だ。なによりもオーナーのフレンドリーな人柄がいい。そういえば名前を聞いていないのでまた後で行ってみようと思う。歳はきっと60前後で、ロングヘアーで、太っているおじさんだ。それだけでチャーミングな雰囲気が漂う。さっきのET SURFは日本語で言うところの「ショップ」というイメージで、広くて商品もたくさんあってスタッフも何人もいる、サーフィン道具ならお任せあれ!というような店だが、PIER SURFは飲食店の間にこじんまりと佇む、ローカルサーフショップという感じだ。サーフ道具も正直言ってそんなに充実しているわけではない。だが僕はこの店の、客の年齢層が明らかに他よりも高いところや、そんな友人らしいおじさんたちがたまに入って来てすこし話をして帰って行ったりする、ローカルな雰囲気が好きだ。けれどもそんな店にありがちなLOCALS ONLYな感じではなく、開けているのだ。それは間違いなくオーナーの人柄だろう。
昨日は道具を揃えただけでまだ海には入らなかった。夕方またすこしハモサのPierのベンチで考え事をしていたら、Pierの先の方からその彼がスケートしながらHeey!と手を挙げて近付いて来て、ハイタッチをして店の方へ帰って行った。そんな気持ちのいいおじさんだ。
 昨日も朝はくもっていて午後から晴れた。今朝は目覚めた時から部屋が昨日までと違う明るさで、これぞ、というような青空がどこまでも広がっている。今週末は暑くなるそうだ。そろそろレンタカーを借りて動き出そうかと、そのタイミングをうかがっているところ。

9/14/2012

at home all day.


 2012.9.12wed

 朝方から霧雨が降っていた。天気のせいか単なる身体の疲れか、朝からすこし怠くて頭も重たい感じだったので、このまま雨が降り続くなら一日家にいてもいいかなと思う。昼過ぎに再び目覚めたときにはもう晴れていていつもの青空が広がっていた。それでもなんとなく出掛ける気にはならず、おばさんが前日につくっていた日本らしいカレーを昼ご飯に食べてからは、また部屋で本を読んだりだらだらと昼寝をして過ごした。そのおかげなのか、今朝(9.13thu)は昨日よりも楽になっている気がする。けど本当に一日だらだらと過ごしていたのでまだ今日になってもいまいちスイッチが入らない感じ。きっと運動が必要なんだろうということで今日はまた海まで行く。
 昨晩22:00くらいに近所のおいしいと聞いていたアイスクリーム屋へおじさんの車に乗り込んでアイスを買いに行った。アメリカのアイスか、と思いながら食べたら意外と食べ慣れている味だった。こういう日本みたいなアイスってこっちじゃあんまり無いんだよね、と言っていた。

9/12/2012

Enjoy Trippin' Blues.


 2012.9.11

 寝る前の時間。今日はやっぱり一日中曇っていて、今もまだ曇っている。
 ひとつ悩んでいたことがあったのだが、ほんとに今さっき、自分なりの答えを決めた。ある意味では、カメラが旅を妨げていたのだ。これは僕の、僕による、僕のための考察、なんて言っておこう。
 今日は昼過ぎまで家でゆっくり過ごしていて、それからさっそく昨日買ったスケボーでHermosa Beachまで行った。日本で持っているものとほとんど同じサイズ、形なのであまり新鮮な気分にはならない。ハモサビーチまではスケートしていくとどれくらい時間がかかっていたのだろう、40,50分くらいだろうか。家から坂を下っていくとだんだん住宅地から店が建ち並ぶエリアに入っていき、そこを抜けるとRedondo Beachがある。正直に言っておくと、坂道では交差点がその先に見えたら、早めに降りて板を抱えて歩く。たまに調子に乗るとひやっとすることが多いので、あまり危険なことはできない。そこまでの技術も度胸もまだないのだ。そしてそこからはビーチ沿いのサイクリングロードをひたすら滑って行き、しばらくしてその次のビーチがハモサビーチだ。
 僕はよほどちょっとそこまで、というとき以外は、財布とケータイだけ持って出掛けるということがなかなかできない。それに憧れているのだけど、カメラ、と同時に替えのフィルムも必要だしノートも持っていたいし、どんな出会いがあるかわからないから自分のzineもいつも持ち歩いている。だから大体の場合はリュックを背負っているし、カメラだっていつシャッターチャンスが目の前にやってくるかわからないのでなるべく常に肩にかけている。正直言ってカメラもかけてリュックも背負っているそのスタイルはあまり好きではないのだ。もっと身軽でいたい。スナップ写真を撮る者の宿命なのだろうか。まあそこについてはまだスッキリしていない。実はもう結構前から気にしている。いつでも思い切り走り出せたり、フェンスをアグレッシブによじ上ったり、こけてしまったりカメラが何かにぶつかるのを気にせず動き回りたい。自分の行動をすこしおとなしくさせてしまっていることを感じる。仲良く付き合っているはずなのにこんなこと言いたく無いのだけど......やっぱり、もっと身軽でいたい。目にシャッターが付いていたらいいのに、といつも思う。まあ、それでもそのスタイルを続けている、というのが結局のところ答えなのかもしれないが。
 今回の旅のことに話を戻すと、簡単に言えばいつも以上にそんなカメラの負担を感じているということ。見つけたシャッターチャンスを逃すのは悔しいからカメラを肩にかけているが、それがさっき書いたように自分がこの旅でやりたいと思っていることを、すこしやりにくくしているのだ。写真を撮ることを考えると、僕の場合は自分の足で歩き回るのが一番いい方法だ。自転車では通り過ぎてしまったり、スケートでは瞬時に止まってカメラを向けることが難しい。それと音を立ててしまったり、雰囲気でこちらに気付かれてしまう。格好つけて言う訳ではなく、写真は一瞬なのだ。その人が向こうに顔を向けた瞬間とか、歩幅が一番伸びた瞬間とか、そういう小さな映像のどの瞬間に人差し指を押し込むかでイメージがつくられる。だから、写真のことを考えると都合が良くない。そんなことが自分の中にあったので、どうするのがベターなのだろうかと考えていた。そうしたときに思ったのは、この数カ月なんでお金を貯めてきて、今なんでロサンゼルスにいて、これから約3か月間なんでアメリカ西海岸を旅しようと思って来たのかということ。ここ4年間ほどの間に自分が影響を受けたもの、好きになったものが西海岸発のカルチャーであることが多くて、こっちで活動しているアーティストでも何人もいいなあと思う人たちを知ったからだろう。そんな場所をある程度ゆっくり時間をかけて、見て感じて回る旅に何年も憧れてきたのだ。今回の旅のことを話したとき、多くの友人たちは「アメリカに写真撮りに行くんだ〜いいね」というふうに言ってくれたが、僕は「写真を撮りに行く、って訳じゃないんだけどね。前から向こうのカルチャーに興味があるから、その中に自分を置きたいと思って。」と返事してきた。この言葉を僕の口から聞いた友人は実際に多いと思う。今日、さっき、このことを思い出して、何かつっかえていたモノがまた流れはじめたような感じ。今回の旅の間くらいは写真を常に撮ろうと構えていなくてもいいんじゃないか。そんな気持ちでいても、どうせ撮りたい時は絶対にリュックからすぐカメラを取り出すに決まってる。しかも今のところは、いつも以上にたくさんシャッターを切っている。これは!という撮るべきシーンはしっかり撮る、というのはきっと僕はせずにはいられなくなってしまうので、少なくともそこだけ押さえることができればいいんじゃないか、今回は。それと同時にひとつ決心できたのは、サーフボードを買うこと。今日はハモサビーチ周辺にいくつもあるサーフショップを見て回った。いくつか気になる中古の板は見つかって、お金も一応あるので(というかやっぱり日本の相場よりも安い)、あとはそれを持って旅をしていくことについて悩んでいた。また荷物が増えてしまう。けど、もう自分の考えがここまで来たら答えはシンプルだ。スケーターやサーファーの中に入りたかったのだから、スケボーもサーフボードも持って旅しよう。何も不安が無い訳ではないが、嫌になればどこかで売るかあげるか、日本に送るかすればいいし、旅のかたちは常に変化しても何も問題は無い。「流れながら見えてくることもあるんだよ」と、ある映画の中でもたいまさこが言っていた。
 そういうふうな考えに至ったことも気分がいいし、僕は今、改めてこうして文章に書くことの意味をすごく感じる。思いついたことを書きながらじわじわと自分の中で考えが整理されていく。Enjoy California! Enjoy West Coast!! Thank you.

Redondo~Venice by bike.


 くもり。薄いグレーに水色をすこし混ぜた感じ。
 昨日はおばさんに借りている古いビーチクルーザーで走り回った。もともと平坦な海辺を走るためのものだから、それで走り回る、というのはなんか変な感じ。けどまあ今は足が無いのでTシャツを汗でベタベタにしながら半日走り回った。海辺まで行くと、周りのほとんどの人たちと同じようにTシャツを脱いだ。海沿いにずっとつづくサイクリングロードにはウォーキングをする人もジョギングする人も、スケートする人(スケボーもローラースケートも)もたくさんいて、そしてきっと毎日のようにこうして海辺に出てきているのだろうと思わせる自然な光景が流れて行く。そんなきもちのいい道を裸になって自転車を走らせていると、自転車が重たいとかカチカチの革のサドルでお尻が痛いとかいうことはあまり気にならない。気になるのはサーフボードを抱えて海へ歩いて行ったり、向こうで波待ちをしているサーファーのことや、その道沿いに立ち並ぶなんともかわいい家々の造りとそのテラス、庭のことだ。すれ違う人と「Hi.」と微笑み合えるとさらに心が和む。海を左手に見ながら北へ走る。
 Redondo Beachを出発していくつものビーチを通り過ぎ、Venice Beachまでたどり着く。ベニスはお店がたくさん並んでいて平日でも活気があり、割と若者向けなビーチタウンという感じ。スケート好きなら知っている、かつてZ-Boysたちが生まれて来たDOGTOWNと呼ばれていたエリアもベニスにあったはずだ。ずっと興味があったSan FranciscoにあるMollusk Surf Shopのベニス店を見つけて、そこでTシャツとEd Templetonのアートブックを買った。店のカウンターには誰が店員かわからない感じで彼らの友人たちも数人集まっていた。そしてまた別の友人が入ってくると、僕には大げさに思えてしまうくらい大きな声で挨拶を交わして場の空気が盛り上がり、プシュッと缶ビールを開ける音が聞こえてきたりして、ここでもこれが日常なんだろうと思わせる。ほとんどみんなサーフショーツを履いていてTシャツを脱げばすぐに海に入れるぜ、というラフな雰囲気で、ノリは違えど居心地は悪く無かった。というかむしろこの店のラフでオーガニックな雰囲気は大好きだ。その隣にはベジタリアンカフェもあった。会計を済ませた後にこの辺りに安いユースホステルなんてあるか聞いたら近くにある、と店の外まで出て教えてくれた。あることは知ってたのだけど話しかけるきっかけとして聞いてみた。今回の旅は恐れず積極的に英語で話しかけていこう。スケボーショップも教えてもらったり、この町にすこしステイするのは良さそうだ、とかすこし会話をして、きっと近々また来るよと言って店を出た。昨日は大して盛り上がる話をした訳ではないし次に行ったときに憶えてくれているとも思わないが、彼らと友達になれたらきっと楽しいだろう。それから教えてもらったVenice Beach Skate Parkに向かった。砂浜につくられた、きれいでワクワクするようなパークだ。僕はパークでスケートするような技術は無いし、とりあえずは移動手段としてそこら辺をクルージングしていれば満足なので中には入らないが、外から見ているだけでも十分楽しめた。気付いたらもう日が落ちる寸前で、すこし急ぎ足でその場を後にした。帰る前に寄ったスケボーショップで買った板をリュックと一緒に背負って、自転車を漕ぎだす。海岸沿いのサイクリングロードは結構暗いし、この自転車にはライトが付いていないのでできるだけ日が落ちきる前に走らないと、と帰路を急ぐ。急ぎながらも、右手に見える夕焼けのおかげで気分はいい。輝くような夕焼けではなくて、ゆっくり溶けていくような色だった。帰り道はさすがに疲れて、やっぱり今日はすこし筋肉痛。

9/11/2012

Arriving in Los Angels,California


 晴れ。暖かくて涼しい。
 成田空港からLos Angelsへ飛ぶ飛行機は、日曜日の14:55の出発だった。その二時間前には空港に到着して、大きな荷物を預け、僕としてはめずらしく余裕を持った行動をした。旅慣れているような気でいたが、実際には海外への一人旅はこれが初めてなのだ。僕はなかなか早めに出発するということができなくて、大体いつもぎりぎりセーフか、アウトということもしばしばある。空港で選んだ昼ご飯はなんとなくやはり和食で、みそ汁が飲みたかったが鴨南蛮そばにした。それから空港のWi-Fiを使いパソコンを触ったりしていたら出発三十分前の搭乗開始時刻になったが、そんなにすぐ行かなくてもいいだろうと余裕をかましてしまうのが僕の悪い癖だった。さすがにもう行こうと歩きはじめ、手荷物検査を抜けて出国審査へ向かったら、カウンターの向こうで空港のスタッフのお姉さんが僕のことを名指しで探していた。はじめてそこですこし焦り始める。審査を抜けるともう歩いている時間は許されておらず、「行きましょう」とお姉さんが走るので追いかけた。なんだかすこし楽しくなってきて、すみませんねと笑いながら走りつづけ、他にまだ乗ってない人はいるのか尋ねたらお姉さんも笑いながら「あとお客様おひとりだけなんです」と言われた。途中からなんとなくそんな気がしていたから楽しかったのだ。広い空港の中を走りつづけKorean Airの搭乗ゲートへ着くとスタッフの人たちが「間に合ったね」というふうに微笑んでいて、なんとも温かい雰囲気で迎えられた気分だ。おもしろいのは、少しの間一緒に走ったというだけで親近感が生まれるもので、飛行機に乗り込む前にもう一度お姉さんの方へ一歩踏み出してお礼を言った。お互い笑っていた。14:50、自分のシートに着くと、待ってましたと言わんばかりに機内のアナウンスが流れはじめ、そして飛行機はゆっくりと滑走路へ向けて動きはじめた。隣は30歳前後の白人男性、ぼくは窓際。日差しがたまに暑いくらいに差し込んできたが、あったかくてきもちいい。窓のブラインド閉めたかったら言ってね、と伝えておこうか考える。「If you want this window closed,please tell me.」でいいだろうか、なんて考えていたが結局言わずに終わった。すこし後悔。あまり眠れず、本を読んだり音楽を聴いたり窓から空を眺めて過ごしていたら、あと40分でLAX(ロサンゼルス空港)に到着するというアナウンスが流れる。ロサンゼルスの天気は晴れで気温は20℃、最高の陽気だ。
 空港へは叔母さんが迎えに来てくれた。僕の母親の妹である叔母さんとその旦那さん、そしていとこであるその娘がロサンゼルスに住んでいる。まず数日は彼らの家に泊めてもらって、それからすこし予定を立てて動き始める予定。おじさんとおばさんはMEG companyというアパレル系の会社を経営していて、おじさんは自分のブランドを持ってモノをつくり続けている人だ。身内自慢ではなく本当にいい仕事をしているので、興味があればぜひチェックしてみてほしい。Hermosa Beachにそのお店があり、お店に仕舞われていた古いビーチクルーザーを借りて、昼間は海岸付近をぶらついた。ちなみにここは時差で日本よりも16時間ほど遅れているので、日曜日の朝に到着したのだ。日曜日ということもあってPier(ピアー、桟橋。とそれにつづく商店が立ち並ぶ通りも含めて)付近には大勢の人がいてそれぞれの日曜日の午後を楽しんでいた。飲食店はテラス席を広げているのでそこで食事する人、お酒を飲む人、海岸線を散歩する人、サイクリスト、日本ではなかなか見ないローラースケーター、そしてなんと言ってもスケーターが多い。日本でスケーターというとやはり限られた一部の“スケーター像”がイメージとしてかなり定着してしまっているが、こっちではかなり幅広くまさに老若男女問わずたくさんの人が自然にスケートして楽しんでいる。原付のような小さいバイクの後ろをつかんで引っ張ってもらいながらスケートしている光景を見たが、その二人ともが60代と思える初老の男性だった。そんなラフで楽しげなシーンがPierの周りではそこらじゅうに広がっていたが、そのエネルギーにこちらは昨日は着いて行けずすこし気後れしてしまった。ただ、それから海岸線を自転車で走り海の見える丘の上の住宅地へ、なんて帰り道は僕が思い描く理想的な海辺の暮らしに限りなく近く、僕もまたきもちのいい日曜日の午後を過ごした。
 アメリカでの夕食一発目は日本食のコース料理という、変な感じ。おじさんとの打ち合わせでロスに来ていたHESCHUNG(ヘイシュンと言っていた)というフランスの靴ブランドの社長夫婦との夕食に一緒に着いて行ったのだ。貧乏旅行はずいぶん贅沢なスタートを切った。その社長夫婦は僕にも話をふってくれたり、そして拙い英語をゆっくり聞いてくれる穏やかで好印象な人たちだった。僕がこれから写真で頑張ってみるというような話をした後におじさんが言ってくれたのは「Your dream comes true, if you never give up.」というよく聞くようなシンプルな言葉だが、18歳でアメリカへ来て今の僕くらいの歳で会社をつくってやり続けて来ている人に言われるそれは、ストレートに心に入って来た。

9/07/2012

meeting friends


 晴れ。一週間間ぶりの相模原の朝。
 フとしたときに秋らしさを感じるようになったが、フとしなければまだまだ夏。こないだ愛知で久しぶりに波乗りしたり朝から夕方まで海にいたら、きのうから顔や肩の皮が剥けはじめた。まだまだ夏を感じるし、僕はまだこれからも夏がつづく、というか何かすこし違う種類の夏がはじまる、というような感覚を持っている。とにかくこの一週間は毎日会いたい人に会う、愛知への帰省だった。もちろんそのほとんどが久しぶりに会う人たちで、変わらない暮らしを続けていたり、新しいことを探っていたり始めていたり、劇的に変わっていたり。変わらない暮らしと言っても、外枠が変わっていないように見えるだけで、内側ではいろんなことがやっぱり動いていることを知った。そして生活スタイルが変わっている場合でも、その人の軸はちゃんとその人の中心に貫かれていることを感じた。こう感じさせてくれるような友人、先輩、先生、そして家族がいることを改めてうれしく思う。それぞれの生活がちゃんと生きている。その中の何人かから本を借りた。きっと僕が読んだらいいだろうとか、その人が僕くらいの歳の頃に読んで影響を受けたからとか、そんな気持ちで貸してくれたのだけど、本ってそういうところがいいなあとしみじみ思う。
 島から山へ移ったSくん。彼の元へは遊びに行けなかったが、ちょうどいいタイミングで電話をくれた。自分の子どもが生まれるということを経験した彼の声や話し方はいつも以上に穏やかで優しかった。僕なんかが話すことは全部理解してくれるような大きさを感じたし、電話越しにもあの独特の味のある視線を感じて、ああひとつ大きな階段を上ったんだなSくん、という印象を受けた。それは僕にとってもうれしいことだった。アメリカから帰って来たら遊びに行こう。きっと彼も僕の土産話をうれしく思って聞いてくれるだろうから。