9/11/2012

Arriving in Los Angels,California


 晴れ。暖かくて涼しい。
 成田空港からLos Angelsへ飛ぶ飛行機は、日曜日の14:55の出発だった。その二時間前には空港に到着して、大きな荷物を預け、僕としてはめずらしく余裕を持った行動をした。旅慣れているような気でいたが、実際には海外への一人旅はこれが初めてなのだ。僕はなかなか早めに出発するということができなくて、大体いつもぎりぎりセーフか、アウトということもしばしばある。空港で選んだ昼ご飯はなんとなくやはり和食で、みそ汁が飲みたかったが鴨南蛮そばにした。それから空港のWi-Fiを使いパソコンを触ったりしていたら出発三十分前の搭乗開始時刻になったが、そんなにすぐ行かなくてもいいだろうと余裕をかましてしまうのが僕の悪い癖だった。さすがにもう行こうと歩きはじめ、手荷物検査を抜けて出国審査へ向かったら、カウンターの向こうで空港のスタッフのお姉さんが僕のことを名指しで探していた。はじめてそこですこし焦り始める。審査を抜けるともう歩いている時間は許されておらず、「行きましょう」とお姉さんが走るので追いかけた。なんだかすこし楽しくなってきて、すみませんねと笑いながら走りつづけ、他にまだ乗ってない人はいるのか尋ねたらお姉さんも笑いながら「あとお客様おひとりだけなんです」と言われた。途中からなんとなくそんな気がしていたから楽しかったのだ。広い空港の中を走りつづけKorean Airの搭乗ゲートへ着くとスタッフの人たちが「間に合ったね」というふうに微笑んでいて、なんとも温かい雰囲気で迎えられた気分だ。おもしろいのは、少しの間一緒に走ったというだけで親近感が生まれるもので、飛行機に乗り込む前にもう一度お姉さんの方へ一歩踏み出してお礼を言った。お互い笑っていた。14:50、自分のシートに着くと、待ってましたと言わんばかりに機内のアナウンスが流れはじめ、そして飛行機はゆっくりと滑走路へ向けて動きはじめた。隣は30歳前後の白人男性、ぼくは窓際。日差しがたまに暑いくらいに差し込んできたが、あったかくてきもちいい。窓のブラインド閉めたかったら言ってね、と伝えておこうか考える。「If you want this window closed,please tell me.」でいいだろうか、なんて考えていたが結局言わずに終わった。すこし後悔。あまり眠れず、本を読んだり音楽を聴いたり窓から空を眺めて過ごしていたら、あと40分でLAX(ロサンゼルス空港)に到着するというアナウンスが流れる。ロサンゼルスの天気は晴れで気温は20℃、最高の陽気だ。
 空港へは叔母さんが迎えに来てくれた。僕の母親の妹である叔母さんとその旦那さん、そしていとこであるその娘がロサンゼルスに住んでいる。まず数日は彼らの家に泊めてもらって、それからすこし予定を立てて動き始める予定。おじさんとおばさんはMEG companyというアパレル系の会社を経営していて、おじさんは自分のブランドを持ってモノをつくり続けている人だ。身内自慢ではなく本当にいい仕事をしているので、興味があればぜひチェックしてみてほしい。Hermosa Beachにそのお店があり、お店に仕舞われていた古いビーチクルーザーを借りて、昼間は海岸付近をぶらついた。ちなみにここは時差で日本よりも16時間ほど遅れているので、日曜日の朝に到着したのだ。日曜日ということもあってPier(ピアー、桟橋。とそれにつづく商店が立ち並ぶ通りも含めて)付近には大勢の人がいてそれぞれの日曜日の午後を楽しんでいた。飲食店はテラス席を広げているのでそこで食事する人、お酒を飲む人、海岸線を散歩する人、サイクリスト、日本ではなかなか見ないローラースケーター、そしてなんと言ってもスケーターが多い。日本でスケーターというとやはり限られた一部の“スケーター像”がイメージとしてかなり定着してしまっているが、こっちではかなり幅広くまさに老若男女問わずたくさんの人が自然にスケートして楽しんでいる。原付のような小さいバイクの後ろをつかんで引っ張ってもらいながらスケートしている光景を見たが、その二人ともが60代と思える初老の男性だった。そんなラフで楽しげなシーンがPierの周りではそこらじゅうに広がっていたが、そのエネルギーにこちらは昨日は着いて行けずすこし気後れしてしまった。ただ、それから海岸線を自転車で走り海の見える丘の上の住宅地へ、なんて帰り道は僕が思い描く理想的な海辺の暮らしに限りなく近く、僕もまたきもちのいい日曜日の午後を過ごした。
 アメリカでの夕食一発目は日本食のコース料理という、変な感じ。おじさんとの打ち合わせでロスに来ていたHESCHUNG(ヘイシュンと言っていた)というフランスの靴ブランドの社長夫婦との夕食に一緒に着いて行ったのだ。貧乏旅行はずいぶん贅沢なスタートを切った。その社長夫婦は僕にも話をふってくれたり、そして拙い英語をゆっくり聞いてくれる穏やかで好印象な人たちだった。僕がこれから写真で頑張ってみるというような話をした後におじさんが言ってくれたのは「Your dream comes true, if you never give up.」というよく聞くようなシンプルな言葉だが、18歳でアメリカへ来て今の僕くらいの歳で会社をつくってやり続けて来ている人に言われるそれは、ストレートに心に入って来た。