クリスマスイブの朗読


言葉によって、言葉にできない、新しい宇宙を生み出す——
宮沢賢治の不朽の名作『銀河鉄道の夜』を小説家・古川日出男が朗読劇にしました
誕生から1年、同じ日、同じ場所から、始発列車がふたたび発車します
古川日出男が独自の視点で脚本に仕上げた朗読劇『銀河鉄道の夜』は、みずからの渾身の朗読とともに、音楽家・小島ケイタニーラブの音楽と歌、詩人・エッセイスト管啓次郎の書き下ろしの詩、翻訳家・柴田元幸のバイリンガル朗読が加わり演じられる、まったく新しい「賢治」の世界です。

 昨晩行ったイベントのチラシより。
 そんな朗読会、いや朗読劇と言うほうがやっぱり正しい、に行ってきた。去年の昨日も同じ場所にいた。今回は、去年は出演されていなかった柴田元幸さんも加わってより一層おもしろかった。実を言うと、去年はウトウト眠ってしまったりして、それまで観たことのなかったまさに"渾身"の古川日出男さんの朗読が印象的な体験だったというくらいで、内容なども大して心に残っていなかった。友人が今年もその情報を持ちかけてくれたので一緒に行った、というのが正直なところで、柴田元幸さんのことも知らなかった。けどアメリカ旅行に持って行っていた雑誌Coyoteのオレゴン特集の一冊の中で、柴田さんが書かれた記事がそういえばあったな、ということを名前の響きから思い出し、アメリカにまで連れて行った一冊の雑誌の中で存在を知っていたということにすこしだけ、何かのご縁かななんて気にもなっていた。銀河鉄道の夜が始まる前に、柴田さんによる、ポール・オースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の朗読を聴いた。聴いているうちにそれはいつか観たことのある『SMOKE』という映画と同じ話だということに気付く。心の片隅に静かに残っている映画で、その原作を翻訳したのが柴田さんだったという訳だ。朗読を聴きながら映像が断片的に頭の中に浮かんでくる興味深い時間で、コンタクトがやけに乾燥する目をたまにいじりながらも、物語に引き込まれる貴重な体験をした。その朗読を聴き終わる頃には、正確には朗読が始まってすこし経った頃には、僕は柴田さんのファンになり始めていた気がする。といっても翻訳された本を読んだこともないし、ただ勝手に感じていた僅かなご縁と、本人の声や容姿、雰囲気、そこから伝わる人柄に惹かれたということ。本を今すぐ探してきて読み始めようとまで思っていないが、その機会が訪れるのを楽しみに待てる。待つなんて受け身な言い方は変かもしれないが、そんな気分。終演後に話しかけることも簡単にできる場だったが、まあいいかなと思って一言も言葉を交わさずに帰ってきた。そして、促してくれた友人には「だから言ったのに」なんて言われてしまいそうだが、やっぱりそれをすこし後悔している。すこしでも話していたらきっとより一層人柄に惹かれただろうし、今日からその一冊目を読み始めていたかもしれない。続きはきっとそのうちどこかでできると思うのだけど。
 載せた写真はまたしても関係なく、手元に三冊目が置かれたWim Wendersの『Once』という本。二冊同じものを持っている話は前に書いたが、その日本版のものを昨日見つけたのだ。これは手元に置いておきたいと思ったので買ったが、英語版の方が遥かに自分の好きなつくりで、装丁もそうだが、家に帰ってきてから目を通して残念だったのは、日本版に載っている写真の印刷の質が低いこと。白黒写真が特に。それはその本自体の質もグンと落としてしまっていて残念。