3/12/2019

眺めの良い家



 頭の痛みがなかなかよくないからといって丸っと二日間も寝込んでいるのは悔しいので、すこし楽になった気がしてきた二日目の昼過ぎ、気晴らしに散歩に出た。あえて通ったことのない道を選んだのがなぜなのか、それどころか、ほとんど帰路については考えもせず遠くを目指そうとしていたあの時の気持ちはなんだったのか。途中、ズボンのポケットに手を入れたときに財布を持って来ていないことに気が付き、それほど遠くへ行くことはやめ、あの辺りまでと見当をつけて歩みを進めた。当てずっぽうに遠くを目指したと言っても、疲れたら帰りはひとつ先の駅から電車に乗って帰ればいいとどこかで思っていたのだと思う。
 今まで選んだことのない道を進んでいったのは確かだが、その先で見覚えのある道に繋がった。普段はそんな瞬間にはむしろ自分の地図が更新されていくようなよろこびを覚えるものだが、その日はなんとなく面白くない気持ちが勝った。知っている道を歩いても僕が発見したいものには出会えないと思った。何を探しながら歩いたということもないが、強いて言えば、この住宅地の間に細々と流れる用水路を伝って歩いていけば、曲がりくねった先に小さな喫茶店のひとつでも見つけて、近所のおじさんおばさん、あるいは大学生風の青年などがいてもいいが、そんな小さなこの町の社交場のひとつに出会えるかもしれないという期待は持っていた。
 
 その時点で今日の楽しみは終わってしまったような気もしたが、その先を曲がってかるく坂道を登り、今度は坂をすこし下って山道のようになった樹々の間の小道を歩いていく。またそこから登っていくと、すこし高台の、遠くの山並みまで見渡せるところに来る。そこからは樹々が邪魔して見えないが、下の広場はどうやら野球のグラウンドになっていて、大人も子供も混ざったような、草野球の様子が聞こえてくる。家を出るときに文庫本と手帳のどちらかを上着のポケットに入れようか迷った末に選んだ手帳を取り出して、この辺りで何かメモでも取ろうかと考えた。前にもここに腰掛けて、何か考え事をした記憶が蘇ってきた。そのときはイヤホンで音楽を聴いていたのだった。ここは、なにか自分の中の考えをまとめたりするのにいい場所かもしれない。しかしその日は、気がつくとまたすぐに立ち上がって歩き出していた。階段の下におじいさんが、きっといつもそのくらいの時間にやって来ているようなおじいさんが散歩していて、とっさに僕は立ち上がってしまっていた。どこかでいつも邪魔者にはなりたくないと思っていて、その気の弱さが僕をそこに座りつづけさせてはくれなかった。

 歩けばすっきりするかも知れないと期待した頭もまた痛みはじめ、もう遠回りはせず帰ることにした。この先はどうやっても、歩いたことのある道を進むだけだ。その途中で、さっき高台から見えた遠くの山並みが見渡せるような、眺めの良さそうな家が傾斜地に並んで建っている横を通った。どの家も考えることは似ていて、山の方角へ向かって、どんな気持ちのいい窓を、ベランダを、暮らしをつくるか、というようなことが見えてくるようだった。晴れた週末にはあのベランダや庭先で、家族はあたたかな日差しを集める、そんな季節がもうすぐやってくる。

 いまいち晴れない気分で帰宅すると、寝室でもういちど横になった。次に目を覚ますともうほとんど日は暮れていて、ぼうっとした目で起き上がると、窓からはまだわずかに最後の日を受けて赤味がかった薄い青空が見えて安心した。この家もすこしだけ高台に建っていて、二階の窓からはそれなりに季節の移ろうのを見ることができる。去年剪定しなかったリキュウバイはぷくぷくと、黄緑色の葉を伸ばしてきた。杉平と名付けた野良猫が、んぁーと鳴いて通り過ぎる。