12/18/2012

頑張ろう

 「頑張る」という言葉を嫌う人がたまにいる。僕の友人でも何人かそういう人がいたはずだ。中には、「顔晴る」と表記する人もいる。
 ここのところ、あまり色んなことにこだわらないようにしている。している、というより、こだわらなくなってきていると思う。それでもこだわらずにはいられないこともやっぱりたくさんあるから、それ以外のことはその時の気分任せになっている感じ。だから人とやり取りをするときや何かを選択をするときには、自然なことかどうか、とか気持ちがいいか、ということが優先される。気分任せだから。そしてできるだけその考えに素直に従って余計なことを気にせずに行動していけたらいいが、余計なことを気にしていることに後で気付き、もっと気楽にいきたいのにな、と思うこともよくあることだ。これからはもうすこし楽にいけそうな気がする、というのは先日書いたことにつながるような話。
 先週名古屋に帰っていたときに、あるイベント会場で思いがけず会えた音楽をやっているひとりの友人との話の締めくくりが、「頑張ろう!」という言葉だった。心が通じていると思える人と目を合わせて言い合えるその言葉は直接心に届くようで、そのまんまだが、頑張るぞという気分がより高まった。そこには「(自分が)頑張っていこう」という気持ちと「頑張ってほしい」という気持ちが本当にシンプルに存在していたと信じられるし、なによりも僕はそんな友人がどこかで頑張っていることを思うと自分も力が湧いてくる。だから、好きな人には頑張れと言いたいし、頑張れと言われたら励みになるし、頑張ろうと言い合ってお互いの道へと歩き出して行けたら気持ちがいい。その友人に伝えることがあったので手紙を書いていたら、先日のその言葉を思い出したのだ。震災後に「頑張ろう日本」のステッカーを友人にもらったが、それはずっと使えずにいる。僕には広い"エリア"に向けて、気持ちを込めてその言葉を使うことは難しいと思ったから。