それぞれのスタイルを

 サンフランシスコにはやっぱり変な人がそこら中にいる。浮浪者と旅行者の境目についてすこし考えた。もちろん僕みたいな、貧乏旅行と言いながらも日々宿を確保できてご飯も食べていられる人は単なる旅行者だ。けど、路上で寝ればいいというスタイルで旅をしているバックパッカーもちょくちょく見掛けるが、その人たちと浮浪者との違いはかなり微妙なところだろう。いつか帰ることのできる家がある、というのが大きなちがいだろうか?けどそれも僕は確かめることができない。歳の問題かもしれない。彼らがもっと歳をとっていたら、疑いなく僕は彼らを浮浪者だと認識するかもしれない。これはただすこしだけ思ったこと。けどそういうことも含めて、この街には個性的な人が多くて、はじめは気後れしてしまう感じもあったけど、逆に今は「僕だって周りの人たちのことをそう気にする必要もないな」と思える。前にもこんなことを書いた覚えがある。
 今日はひとつの選択をしてみた。いつもよりもゆっくり歩くこと。ゆっくり歩いてよく見ることを心掛けた。やっぱり僕は写真を撮っていたくて、そのために物事をよく見ていたい。そのために歩くスピードを落としてみたら、気分が軽くなった。先に書いたことも含むこの街の多様な人のエネルギーもこれには関係していて、こんな色んな人がいる中で自分はどんな選択をしよう、という考えに至ったのだ。僕は写真を撮る。
 そしてもうすこしその選択を重ねていくと、どんな写真を撮るか、とかどういうスタイルで撮影していくか、とかいうことを考える。僕は写真はフィルムでしかやらないし(依頼をもらって撮った写真は今まで何度かデジタルでやったけど、今はそれについてもすこし考えている)、白黒しか撮らないし、3年前から使っているカメラのレンズはひとつしか持っていない。今は40mmのレンズしか使っていない、というか持っていないから選択肢がない。その、選択肢がないということ、言い換えると「選択肢を用意しない、という選択」も、ひとつのスタイルだと考えはじめている。もちろん、まだ写真で生活している訳でないからそういうことが言える、ということがとても大きいのは分かっている。けど、そこをどれだけ頑固にやって行けるか、そして食べて行けるのか、というのは僕も自分で楽しみなのだ。これに関しては今後のことを見てもらうしかないから、ぜひ厳しい目で優しく見守っていてください。
 もっと考えてること、書きたいことは日々生まれているのだけど、たまに思いついたときにこうして意思表明のようなものを書きながら自分に言い聞かせることも続けていく。それも必要なことだから。サンフランシスコは楽しくなりそう。